見出し画像

青と赤の色別プールバックが懐かしすぎた

世田谷クロニクルの「春休み動物園」昭和50年 の8ミリ映像が気になる。


映像に出てくる兄姉が持っているようなプールバックをわたしも持っていたと思う。ちなみに、わたしの小学生の頃は、体操着も男子は青で女子は赤という男女別カラーだった。

ドラマ『北の国から』の主人公、純と蛍の兄姉の着るジャージも青と赤が定番だったことを覚えている。

ドラマ「北の国から」原作・脚本は倉本聰
1981年〜2002年放送 家族の21年間の物語が描かれた

当時は、あまり不思議に思わなかったけれど、振り返ると疑問に思うことはよくあることで、この男女色分けも、今思うと謎であり、今の「普通」ではなくなっている。

では、なぜこの青と赤のジェンダーコードは生まれたのだろうか。疑問に思って調べてみれば、トイレのマークの男女の色別の話にぶつかった。      

昭和39年の東京オリンピック。各国のオリンピック選手が言語に頼らずに施設を表すピトグラムの表示を見てトイレを利用できるようにした際、グラフィックデザイナーの道吉剛さんが、男女マークを色別にした。

なぜ男を青、女を赤にしたかと言うと、アメリカの男の子は青を女の子は赤をよく着ていたので、これは万国共通なのではないか、と思い提案して決まったそうだ。

このオリンピック時の青と赤の色分けの影響で、プールバックや体操着の色がジェンダーカラーになっていったのかはわからないけれど、今でもトイレのピトグラムの男女色分けは残っているところが多い。

戦後から昭和にかけて、こうしたジェンダーカラーは今より定番化していたことを今更ながらに気付いた。だからこそ、映像の中の青と赤のプールバックを懐かしく思ってしまったのかもしれない。

いまの子どもたちに話すと信じてもらえないけれど、わたしの子どもの頃のランドセルは、男子が黒、女子が赤という二色しかなかった。例外もあって、大学付属の小学校は男女ともに黒のランドセルで、当時のわたしはそれにとても憧れていた。

なぜランドセルは黒と赤しかなくて、男女で分けられたのかは皮製品の染色技術ゆえなど諸説あるようだけれど、それが昭和の「普通」だった。

世田谷クロニクル 「春休み動物園」
プールバックだけでなく、洋服もリボンも赤コーデ

それにしても、映像に出てくるプールバックの中身は、水着とタオルしか入ってなかったのだろうかと疑問が出てきた。プールバックだからといって、中身は水着とタオルだけとは限らない。わたしの友人は、子どもの頃、プールのシーズンオフ中は、プールバックの中にバイエルと筆箱を入れてピアノ教室に通っていた。

世田谷クロニクル「春休み動物園」の最後の場面で、お母さんは何か探し物をしていて、赤いプールバックを開く。その映像が、とてもひっかかっている。

赤いプールバックを開けるお母さん

春休み、上野動物園で遊んだ後、室内プールに行く予定なのだろうか。最初、観た時は、プールの後に、動物園に来たのかと思ったけれど、女の子の髪は濡れてないし、きちんと髪はしばられ、ピンで整えられリボンもついているから、プールの後ではないと思われる。
はたして、この日のスケジュールは、どうだったのだろう。

***

普通はいつだって、時代とともに変化していく。
常識と思われることも、まずは疑うべし。
昭和の8ミリフィルムの映り込んだモノを見ていくと、令和の感覚に囚われては見えてこない風景があることに気づく。
これぞ昭和を歩くためのLessonなり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?