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今日の一日に意味はあったのか、意味を見いだせたのか問うてみる。そして、ちょっと笑ってみる

想像はしてなかった。親の介護をするとか、亡くなるとか。想像できなかったというか、想像したくなかった。そして、それは、じわじわとやって来て、日常になった。認知症の親御さんとの日々を綴った漫画が話題になったことがあった。ペコロス。読んではいないのだけど。テレビのドキュメンタリー「プロの流儀」だったか、主役?の人が認知症の親御さんと楽しそうに話している映像を見たりもした。そういうのは、介護者本人の心情、心の持ち方なんだろうとは思う。怒っていたり、泣いていたり、懇願したり、脅したり。認知症から来る感情の爆発を穏やかに受け止めるのは、本人の胆力なのかもしれない。まだ、自分のことを認識して、感情をぶつけてくれるんだからいいじゃないか。そう思えれば、いいのだろうけど。マラソンの小出監督が有森裕子氏に望ましくない出来事を「なんで」と思わず「せっかく」と思うようにと諭したそうだ。せっかくのこの機会に、どう行動するか。そこまで踏み込んで考えなくても、せっかくだからとりあえず面白がっちゃえっていうのが、心には負担がない。ちょっと投げやりでも、とりあえず、現状を面白がる。こんなんなっちゃってますって。苦笑いでもいいかもしれない。百歩譲ってトホホってのでも。お笑い芸人風に言えば「なんて日だ!」とか「チェだぜ!」ってのも、きっとその仲間だ。寝る前に、床の中で今日の日を思い返して、ちょっと笑ってみる。笑えなくても、口角を上げて笑顔を作ってみる。それだけで、今日一日がなんかいい一日だったような、そんな気がしないこともないかもしれない。そうして今日もまた眠りにつくのだよ。

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