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ほくそ笑みと疑ふこと

日本の #優生保護法 は1948年、第2次世界大戦後の再建時期に成立した。
法律の目的は身体障害者や知的障害者、心の健康を損なっている人たちが子孫を残すのを防ぐためだった。またハンセン病など、当時は治らないと考えられていた特定の病気の患者も不妊手術を強制された。

上記記事

偏見が解かれたという事でしょう。しかし、たった三年前まで民族別と偽って嫌という程使った論法をまた持ち出さなければいけなかったとは、不思議な事です。

さらに言えば、戦後でも読み書きの熟練への不足、有るべき道徳の否定という勇姿の資格持つ開拓団のある一定数の若者は。遥か外界で、遺伝子の優劣関係無き矛盾の下、抗争、闘争、変装を使って「差別」を避け。使い、信仰にしてまで学説、良識に依らず怒鳴っていたのです。「俺が正しい、反論は御真影の元に一切認めねえ、と。」

遥かなる親等を尊ぶ国。しかし、今こそ議論すべき大正治めるの世も、現に遠き。我々はその本懐に触れる事は出来ないでしょう。

はっこういち…違った十人十色。本懐はかつて左胸辺りにあったのに今は脳味噌の何処かに有って、そのうち宇宙の果てで見つかりそうなものだそうな。ふむ、難しいな…。


気がつけば、周りにいる人の意見ばかり聞いている気がします。或いは、優等生の作文の様に周りが言ってほしいこと。そうなると自ず、当事者は自分で話していることが自分の意思のことなのか、有るべき社会の総意のなのか判らなくなってしまうのではないでしょうか?


全てにおいて饒舌、舌鋒鋭き、論破を好み、自我保証されているゆえ、知恵多き他者には皮肉を供すること多数。政治とか、論壇?とかの場所は最近めっきりそんな"大帝"閣下殿ばかりが目立つ印象です。その人物たる疑いがあるから、"障害者様"という定義、恐ろしい"常識無きの絶対権力者"を想像させるわけです。

有る権利を否定して
無い権利を夢想して、させて。


…養護教室。その登校理由を個々に問わない場所に気軽に遊びにいった僕は、何かしら情操の面で問題の有った上級生に胸ぐらを掴まれて投げられ二度と近づかなくなり、何かしのかしの配慮で同級生がどの臓器が悪くて通っているかも解らず、ナマポの類を受けている家庭の仔が差別を愛して止まない悪ガキから嫌がらせを受けた話を、先生からHRで聞かされていた、平成。

間違って無かったかい義務教育?結局性教育と併せて、該当者に機能が無くなるまで「そのまま」が配慮…。今日の日の解決もまた都合で移ろいゆく。変わらず人懐っこい人、人恋しさも知らず。

五体満足なる石ころの精一杯の考。

#創作大賞2024 #エッセイ部門 #Copilot Designer

#スキしてみて
#これからの家族のかたち

#毎日note #毎日日記

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