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# 12 悩める人間

コロナ禍を振り返る時期である。又、ウクライナ侵略戦争もそろそろそうすべきだろう。

今回、…命の見守…りと言うテーマである。

印象に残る最たるものは、イタリアである。
医療機関にコロナ患者が殺到した。多くは酸素吸入を必要としていたのだが、足りない。
ある高齢な女性が若い患者に、吸入器を譲り「私は良いのです。どうぞ使ってください」。この記事に深く感動した。
古今東西、命を顧みない勇気ある行動には感動する。
母校の学祖、高木憲寛は脚気患者を冷静に見守り、原因が栄養バランスの欠如である事を突き止める。海軍軍医である彼は兵食改善の必要性を主張、明治天皇に脚気対策として、長期航海での白米中心の兵食を変えることを奏上した。脚気は軍隊では大問題であった。多くの軍人が罹患して、命を落とした。当時、細菌が原因していると考えられていたので、これは驚くべき提案だったのだ。
天皇の許しを取り付け、海軍筑波艦の試験航海で兵食をパンに変えた。
一方で、同時に遠洋航海についた別の艦では従来通りの白米を兵食とした。2隻の結果は筑波艦で脚気の患者は出なかった。一方は多くの患者が出た。
海軍軍医・高木兼寛は洋食の導入で海軍内の「脚気」を克服した。その後、明治43 (1910)年、農学者・鈴木梅太郎は米ぬかから脚気予防の有効成分オリザニン(ビタミンB1)の抽出に成功した。
然しがら、陸軍はその後も白米中心の食事にこだわったのだが、日清戦争、日露戦争を経て、ようやく、日本軍は麦飯に変更、脚気による死者が無くなった。
余談であるのだが、後日、「もし、筑波艦に同様の犠牲者が出たら、君はどうした?」との問いに、高木憲寛、「切腹し、お詫びをするつもりだった」。

「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。」若い楽しいひと時は短いと言う事なのだろう。この様な艶っぽい命もある。
解釈次第で、色々あるのだ。高木の様に命をかけて信念を通す命もある。
近年、介護の現場で、看取りと言う言葉が頻繁に使われる。これは限りある命を尊厳のある形で見守ると言う事なのだ。
高木憲寛も、イタリアの夫人も、介護職の方々も、医師も、命の見守りの重要なことを知っていたし、実践している。そこから多くの発見や、新たなる視点や、共感が生まれる。

プーチンは「命は限りがある。母国のために命を捧げるべきだ」と述べ、若者を戦争に駆り立てた。愛国心は尊い。しかし、それをもって、若者を戦争に駆り立て、多くの犠牲者を出していることには抵抗する。
愛国心と絡めて自分の命を語るのなら説得力もあろう。他人の命は、見守るもので、勝手に強いるものではない。
言葉巧みに犬死させるのは悪徳の響きがある。


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