見出し画像

# 38 悩める人間

地政学的リスクが高まっている。そこで、今風の権力と正義について考えた。

権力と正義は必ずしも一致しない。権力は統治能力があるので、否応なしに人を服従させる。一方で、正義については力が備わっていないので、それが正か否か、批判や異論が噴出してくる。否応なしに従える力は備わっていない。
人は生活しなくてはならないし、生きてゆかなくてはならないので、正義と権力の2者択一では権力を選択す確率が高い。
しかし、正義は長い目で見ると人間を導いてゆく。常に悪徳との戦いがあるのだが、長期的には権力を超えてゆく。
西欧の中世の衰退期とルネサンスを思い浮かべると、最悪期ですら、人類は後退を克服して来た。社会は進歩すると言う文脈と、後退、衰退すると言う流れとのカオスの様な混迷から抜け出して、人間社会は進歩する方向に向かった。
正義と進歩はほとんど相似形である。

変化や、進歩の遅い昭和やそれ以前には、知識人も、正義を見捨てて、権力に傾倒した。それと表裏一体であるのだが、暴力や、革命で新政権を確立する、クーデターを事実上、正当化していた。
ただし、理想論として、権力と正義が一体化すべきと思っていたのだが。

現在と比べ、社会の変化や流動性に乏しく、情報が圧倒的に少ない中では、判断材料も乏しかったので、正義と権力の力学を考える環境ではなかった。
しかし、今では、情報が溢れ、正義の実現する時間は昭和と比べて短縮されている。権力の衰退する速度も早まってきたし、権力への固定観念も崩れ始めている。

現状は地政学的リスクの高まる真っ只中であるのだが、それほどの時間を要せずに結果が出ると読むのが今風な考えかもしれない。
14世紀に勃発した100年戦争の様な、結果の出ない長い混迷に陥る事はない。
その様な遠い昔を引き合いに出さずとも、20世紀との比較でも、原因と結果の間の不均衡を意識しなくて良くなっている。原因と結果の関係の単純化がますます進んで、正義が結果に反映される時間は短縮されている。

昭和は遠くなりにけり。私は知らず知らずに昔のままの考え方に固まっていまして、昭和だね!” 無知の知を戒めにします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?