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二十二世紀の愛のかたち

特別な朝。光は心なしかわたしに優しい。いろいろ考えてこれってどうなんだろうとぐるぐる考えたことはもしかしたらちっぽけなことかもしれない。そう悟ってしまう。でもそれこそもわたしから生まれてくる感情の一瞬一瞬で、それもわたしじゃない、だからいいやん!と。そうも思える。自分を全部否定するのはもう嫌やねん、きっと。

あの時、「わたしだったらもっと寂しいって言っちゃうと思う、だってわたしがあなたの立場だったらめっちゃ寂しいもん」と彼女は言った。そのあと、そういう気持ちをグッと我慢して言わないのが、あなたらしいね、とも言っていた。ああ、そうか、もっとちゃんと寂しいとかって口に出して言ってもいいのか。ああ、この感情ってここにいてもいいんだとオフィシャルに受け入れられる。感情の居場所が出来たら胸の奥が熱くなって、本格的な冬が来る前にかき氷を食べながら、ああ、この感覚、夏にも出逢ってたなって思い出す。豆花を食べた夏の日のこと。あの日もこの感情に出逢った。わたしは愛されているんだといつも知る。

おかげさまでここ2年、仕事ではたった一度も泣いてないけれど、プライベートではついついグッとくる場面が多くて、その度にほろっと泣けてきてしまう。歳のせいではない。昔から涙もろい性格だから。でも、これはきっといい涙だから、ええねんってことにしとく。毎日生きてたら穏やかな日も、風が強い吹きっさらしみたいな日もあって、どうせなら穏やかな日が多い方がもちろんいいし、ゆったり過ごしたいし。ってゆうか実際につらい日はやっぱり嫌やし、なんなら全然だるい日も当たり前にあって理想と現実ってなんですか?みたいな毎日も往々にしてあって。でも、誤解を恐れずにゆうと、おっきく考えたら別にたぶんそこは大したことではないのかもしれない。その時はやっぱり嫌やけど。しんどい時はそれに向き合う無理のない程度の余力とひと握りの逃げる勇気だけ持っておいたらいい。でもこれは自己啓発とかでもないし、それを糧にして成長しろとかでもなくて、そんなんじゃなくてさ。又吉さんも言ってた、バッドエンドはない、僕らはまだ途中だって。だからわたしもまだ途中だって気持ちでいてる。だったら、風が強くて横殴りの雨の日もそれはそれでたぶんいいんかもしれない。だってそれはほんまに全部フリやから。笑いが起こる前のフリ。わたしもほんまにそう思うし、毎日それを日々実感しながら生きてる。


今日も寒かったけど明日からまたグッと寒くなるらしい。これからが本番だから喉と肩をあったくしないと。ご自愛、押忍って感じだよね。

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