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実は短編小説を書いていた(ので、そのときの)はなし

こんばんは。noteの10月はクリエイター応援月間(#つくってみたやってみた)とのことで、こんなはなしもしてみようかなと思う次第です。

短編を書くようになるまで

今から5年前の2017年の暮れ、わたしはある小説投稿サイトにて、コンテストを見つけます。それまでプロットを組んでみたり、あらすじを書き出してみたり、登場人物の設定などを考えてみたりという、部分的なところでは小説を書いていたのですが、完成させた作品はなく、いつもどこかで中途半端になったり、書き進められなかったりということが起こっていました。
なので、通常のコンテストであれば、「完成できないし」、もしくは「そんなに文字数書けないし」とスルーするところ。
しかしそのコンテストは2000文字程度の超短編から受け付けるということでありまして、書けない自分が一歩踏み出すには絶好の条件だったのです。

実際、わたし自身かなり変わりたいとおもっていました。子どもの頃から充足感とは程遠い生活をしてきたので、月並みな言い方で言えば、”何者かになりたい”気持ちが強くあったのです。
それに加えて、自己肯定感も低め。ですのでなにかやり遂げた/すでに持っているものを褒めてあげることもできずにいました。
その時のわたしには、他者の評価はさておき、やり遂げたというわかりやすいマーカーのようなものが必要でした。

そこで、心の底の底のそのまた底にずーっとしまってあったあるアイデアに目を付けます。

好きな人と美術館デートをするときに聴くプレイリスト

アイデアとも呼べないようなただのフレーズなんですが、ネットサーフィンをしていた時に見かけて、5年は心の底になぜか引っかかっていて——準備をする心の美しさみたいなものが気に入ったのでしょう——コンテストのテーマは「贈り物」とかだったと思いますが、ひねりを入れて「クリスマスが付き合っていない二人に贈り物をする」物語にしようと考えたのです。


 ふと、店内に置かれたキャンドルの灯が消えるのを見た。思っていたよりも長居してしまったようだった。店員がそれを取り替えた様が、何故かスローモーションに見えた。灰色がかった空の温度が上がったようにも感じられた。
 「もし良かったら――」隅田に視線を戻すと、彼は作品を語る時と同じような、人懐っこい笑顔で言った。
 「送り主を探すのは止めにしませんか。もう結構な時間が経ちましたから、続きがあるようにも思えないですし――それに、今日はイヴですから」
 「――そうだね!」冷気に蝕まれたコートの中に、温かさがじわりと満ちていく。
 やはり今日はクリスマスイヴだった。子供も、若者も、大人も――みな少しだけ不思議なことを待っている、素敵な日なのだ。— 葉月勧 恋の見える街(2017)

これは5年前に書いた小説からの引用ですが、こんなふうに、何気ない出来事に意味づけをしてしまう(”クロノスタシス”のような)情緒的な瞬間、運命だと感じてしまう不思議な瞬間、そういうものが書きたかったのです。

ひとつのものを完成させるということ

しかし書き始めてみると、さくさく進む部分と難産な部分とのバランスが見事にいびつで、とても悩ましかったです。幸いある程度”乗って”書けていたので、どういう方向へ物語を持っていくのかということにはそれほど悩みませんでしたが、いびつなこと——ある章の10行くらいはすらすらと書けるのに、その次の一行が何日も書けないという事態——にはかなりフラストレーションが溜まりました。
そして、フラストレーションを味わっているうちにやってくるのが締め切りです。今回の場合は商業作品の締め切りではないので、作家の方の苦しみと比べるのも変な話ですが、それでもいくらかのプレッシャー(当時のわたしには十分なくらい)はありました。お腹も壊しました。完成の三日前くらいから、書いてはトイレに行き、戻ってきてはまた書いて、またトイレに行くということを繰り返しました。

トイレとパソコンの往復は結構辛かったのですが、その前に成功していた禁煙よりは少しマシで、「禁煙よりはましだから…」と思いながら書き上げました。正直いいものができた実感とか自信はなかったですが、その分達成感はすごく大きかったです。

書き終えて、その後

せっかく書きあげた小説でしたが話題になる…というようなことはなく、けれど「これでいい」というような感覚がありました。
反響はなくとも、やり遂げたのです。せいぜい禁煙をした程度で他にはなんにもないと思っていた自分に、ちゃんとした達成・勲章を与えてやれたのです。これがまず自分にとって大きいことでした。
それに、「どこかで中途半端になったり、書き進められなかったり」していたものたちに供養をしてあげられたというか、ひとつ完成させたことが区切りにも自信にもなったことは明らかでした。また、「難産な部分」を経験することで、ふだん何気なく読んでいる小説の一行一行にも意図とこだわりがあるということを体感でき、技術的にも非常に学びが多かったです。

DJの世界では、「楽曲を作って始めて一人前」と言われるそうですが、それは言い得て妙で、完成に向けて取り組まなければ知り得ないことがたくさんありました。またその知見は、読書をする際にも活かされているように感じます。読書の秋、芸術の秋ではありますが、みなさんも一度「作ってみる」経験をされてみてはいかがでしょうか。それはきっと人生における貴重な財産になってくれるでしょうから。

また、ゆくゆくの話(つまり未定)ですが、今回引用した「恋の見える街」、2022年または2023年版としてリメイクしようと思っています。
その際はこのnoteに掲載しますので、どうぞよろしくお願いします。それでは。

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