心配性という病
私は心配性だ。
とにかく不安の中でこれまでを生きてきた。
10年ほど前にうつ病を患った時も、不安感が強いタイプだと言われた。
不安と言うのは、意識が常に未来にいる。
悩んでいること、困っていることは今にあるけど、その今が未来を恐ろしいものに変える、
と信じて1人震えている、ちょっと滑稽な病だ。
心配は、信頼していないからするもの。
という言葉をはじめて聞いたのはいつだったろうか?
長男が生まれて少し経った頃だったか、この言葉を知った時はショックを受けた。
私は実の親にも義理のお母さんにもよく心配をされていて、ずっとそれが辛かった。
心配ばかりかける私はダメなんだと、どんどん自分を責めていた。
そうか、母たちは私を信頼していなかったのか。
信頼されていないと言うのは非常に煩わしい!
自分は子どもにしないようにしたい。
と、誓ったのだが、蓋を開ければ心配ばかりしている。
まるで信頼していない。信頼する事ができない。
最近の長男の不適応や問題行動を連日見ていて、
そして先生方があれこれアイデアを出して支援をしてくださって、
私はどっぷりと心配性の病に浸かってしまった。
ひたすら子どもたちの問題行動を悩んでいた。
ただ、悩むことと言うのは「何かをやりたくないから逃げるための常套句」である事は認識していた。
そこで、ノートを広げて自問自答をしてみた。
・長男の問題行動を他の保護者に見られるのが恥ずかしい
・他の子と比べてしまう自分がいる
・長男は私の気持ちをわかってくれない
・私が悩み困る事で周りに私は悪くない、困らされているのだとアピールをしている
など出てきた。
でも、まだ辿りつかない。
これも間違いじゃないし事実だけど、足りない。スッキリしない。
確かに他の保護者に見られるのは非常に気になる。
現在、特別に車を幼稚園の側に停めさせてもらっていて、それを知っている保護者に見られたら何て思われるだろう、
私はどんな反応をしたらいいだろうと思うと、暗く後ろめたい気持ちになるのも事実で、
すぐに子どもたちを乗せられるので楽なのに全然嬉しくない。寧ろ苦しかった。
やっぱり長男はこうしないとダメな子なの???
と思うと凹む気持ちもあった。
私はどうしたいんだろう?
先生方が色々とやってくれて、まずは色々やってみましょうと言っていて、
それを断る勇気がなかった自分も悔しかった。
やらなかったことで、長男が更に不安定になると思うと怖くて「良いと思われる方法」にすがった。
ああ、私に自分軸が足りなかったんだなあ。
と自分責めをしたりもした。
でも、まだ辿りつかない。
そこで、我が家のパパに長男の話をしてみた。
すると、
「ほっとけば良いのに、心配しすぎなんじゃないの?」
・・・ごもっとも。
そこでやっと、ストンと府に落ちた。
そうか、これは私が「長男を心配することでメリットを得ていただけだったんだ」
心配して長男が悪い事にしてしまえば、私は長男を信じなくても良い。
日に日に泥沼化している子どもたちの様子とも向き合わなくて良い。
人目を気にする自分、不安な自分と向き合ったり、先生に自分の意見を言う勇気を持たなくても良い。
心配なんです。困っているんです。
そうして悩んでいるだけで良い。
私は、放っておく(信頼する)勇気を出せないし、出すつもりもなかったんだ。
それはちゃんと「言い訳」がある。
これまで散々心配してばかりいて、私が突然パッと手を離すと、当然子どもたちは抵抗する。
泣いたり暴れたり、いろいろな方法で私が放っておくのを阻止しようとする。
ただでさえ、次男の髪の毛を引っ張る強さは強くてたくさん髪の毛が抜ける。
噛み付きで歯跡がくっきり付く。
とにかく私への攻撃は今でも酷いが、更に増すだろう。
それがとにかく嫌だ。
そういう子どもたちの悲しみにも向き合えないのだ。
「問題行動をする困ったちゃん」として子どもと接することで、向き合うことから逃げられる。
我が家のパパはこう言った。
「一緒に帰りたくないなら、自分の足で家まで歩いて帰ってきなさいって言って放って帰ってくれば良いじゃん」
また私は衝撃を受けた。
私はイライラして冷たい言葉をぶつける時
「帰りたくないなら帰らなくていいから!」
という方向で怒ってしまう。
帰ってくるなというメッセージをこれまでもぶつけて来た。
本当に置いてくるかどうかの話はここでは置いておいて、怒るにしても伝え方がある。
この子は本当はちゃんと歩けるんだと信じて放って帰るのと、
この子は問題ばかりだから帰れないだろうと思って放って帰るのでは全然違う。
1ヶ月前までは、人の何倍も時間がかかったとはいえちゃんと歩いていたのだ。
疲れて歩きたくないのは確かだけど、確実に歩けるだろう。
そして私はひとつ質問した。
「ぎゃんぎゃん泣いたり叫んだり、地面にゴロゴロしたり、攻撃したりしているのを他の親に見られるじゃない?そういうの気にならない?」
「気にならない。そんなのも放っておけばいいじゃん」
散々自分の人生に悩んで、心の仕組みについても調べてやっと知った事を、彼はきっと昔から普通にやっていたのだろう。
極め付けに
「そんな長男の心配してないで、自分の心配したらどうなの!忘れ物酷いでしょ!」
と言われる始末。
もちろん子どもたちについても、特に心配はしていないそうです。
今も昔も、自分は可愛い!と心の底から思っている(と言っていた)自己肯定感抜群の我が家のパパ。
彼も色々と偏りはあるけれど、でもこうやって自己肯定感があるだけで非常に幸せそうだ。
義母さんもかなりの心配性ではあるけど、それを子どもにぶつけたり押し付けたりしなかったんだろうな。
親だもん、心配はすることもある。
だけどそこで、グッと自分の言いたいやりたい気持ちを抑えて「きっと大丈夫」と信じ続けること。
そうしたら、子どもはそれだけで幸せに生きられるんだね。
あれこれ口を出すのは、私が子どもを、そして自分自身を信じていなくて
だから不安で、心配で、「大丈夫」なんて思えないから。
不安な時は「これまでも大丈夫だった」と思い出すといいよとアドバイスを貰った言葉がやっと響いてきた。
大丈夫じゃないかもしれないけど「きっと大丈夫」と思い込む勇気を持とう。
そんな私はというと、スーパー過干渉で育ったため心配や干渉が大嫌い。
人には放っておいて欲しい人。
それなのに全然放っておけない人。
放っておいて欲しいなら、まずは放っておこう。
長男がとにかく私を放っておいてくれないのは、私の真似なのかもしれない。
まずは私からやろう。
放っておかれる幸せだってある。
長男も次男も、問題行動を起こして私に「ちょっと方向違うよ!気付いて!」と伝えてくれたようにも思う。
ちょっとこの1ヶ月は迷走してたな。
心配し過ぎちゃった。
これを取り戻すには最初は大変だと思うけど、それは覚悟でやってみようかな。
やりたくなくて逃げやすいけど、やるぞと決めたらとりあえずやってみる!
そうだ私はやれる子だぜ!
子どもたちだってやれる子だぜ!!