奥多摩『日原鍾乳洞』にて

画像1 都内から約2時間ほどの場所にある奥多摩『日原鍾乳洞』
画像2 『日原鍾乳洞 詩人』と検索してみると『氷見敦子さん』という人物がいたことを知った。以下の詩を掲載したいと思う。
画像3 日原鍾乳洞の「地獄谷」へ降りていく 氷見敦子 『その日を境に 急速に体調が悪化していった 明け方、喉の奥が締めつけられるように苦しく 口にたまった唾液を吐き出す 胃を撫でさすりながら 視線が、白み始めた窓の外へさまよっていく 八月、千石からレンタカーをとばし 奥多摩の陽射しをぬって (井上さんといっしょに) 日原鍾乳洞に入った 蛇行する道を 引き込まれるようにして進む 左右から鍾乳石が不思議な形で迫ってきて 躯を小さく沈めるようにして歩く
画像4 一晩中、鈍い腹の痛みが続いた 何度でも寝返りを打ち  躯を眠りの穴へ追い落とすようにするのだが 痛みに引きもどされ 呻くしかない まどろみながら夢のない夜を渡っていく 冷気が洞穴に満ちているので 思考する温度が急速に下がり始める かつて、狭くて暗い道を通ってきたことがある という記憶が 脳の奥で微かにうづくようだが 恐怖はなく 本能だけがわたしの内側をぼんやり照らし出している 柔らかい胎児の足が 濡れた道をこすって穴の奥へ這い寄っていく 下腹部が張り 死児がとり憑いたように腹が膨らんでいる
画像5 胃と腸が引きしぼられるように傷み 躯をおこすこともできず 前かがみになってのろのろと移動する 鍾乳洞の壁を伝って地下水がしたたり 足元に水たまりを作っていた 「格天井」「船底岩」を過ぎ 「天井知れず」の下で頭上を眺める 重なり合った鍾乳石の割れ目にぽっかりあいた穴の果ては 見きわめることもできず 目を凝らすうちに とりかえしのつかない所まで来てしまったことに気づく わたしの足には もう鎖のあともないが 数百年、ひとりの男であったわたしは このような地の底の牢獄に閉じ込められていたような気がする
画像6 便が出なくなり下剤を常用する 午前八時に便器にすわり 一時間近くにわたってどろどろに溶けた便を何度も出す トイレットペーパーが大量に消費され 汚水が滝のように下の階へ流される 「三途の川」を渡って「地獄谷」に降りる 地の底の深い所に立つわたしを見降ろしている井上さんの顔が 見知らぬ男のようになり 鍾乳石の間にはさまっている ここが わたしにとって最終的な場所なのだ という記憶が 静かに脳の底に横たわっている 今では記憶は黒々とした冷えた岩のようだ 見上げるもの すべてが はるかかなたである
画像7 九月、大阪にある「健康再生会館」の門をくぐる ひた隠しにされていた病名が明からにされる 再発と転移、たぶんそんなところだ 整体指圧とミルク断食療法を試みるが 体質に合わず急激に容体が悪化する 夜、周期的に胃が激しく傷み 眠ることができない 繰り返し胃液と血を吐く、吐きながら 便を垂れ流す 翌日、新幹線で東京へもどる』
画像8 (同人誌「SCOPE」1985年11月発表)
画像9 私は初めて氷見敦子さんの存在を知った。『人間の死』という事を実体験を基にしている詩である。20代の若さで『詩集』というカタチで残している人物がいたとは、大きな驚きと衝撃だった。※氷見敦子 (1955年2月16日生~1985年10月6日没・享年30歳) 没後刊行詩集『氷見敦子詩集』【奥多摩の日原鍾乳洞の詳細はこちら⇒http://www.nippara.com/nippara/syounyuudou/syounyuudou.html

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