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フランシスコ教皇が長崎を訪れた、もう一つの意味

今、フランシスコ教皇が来日している。あまりメディアで報道されていないことがある。11月24日、長崎市の爆心地公園を訪れ「核兵器に関するメッセージ」を行った後、彼が長崎の西坂公園の日本二十六聖人記念館に足を運んだことだ(*)。


私の専門は、宗教美術だ。研究者として、宗教に関しては、ニュートラルな視点で考察することを努めている。つまり、無信仰ではないけれども、どの宗教にも属さないようにしている。

以前、隠れキリシタンの美術についてリサーチするために長崎を訪れた。ヨーロッパから来日したキリスト教の関係者達(イエズス会の神父達を含む)が、どのように「イメージ」を用いて、仏教と神道が共存する日本で伝道をしたのか調べるためだ。そして、壮絶な隠れキリシタンの歴史を知った。もちろん知識としては、知っていたけれども、訪れた長崎の地は、あまりにも悲しかった。そして、その悲しみの延長に原爆が落とされた。

日本でのキリスト教の迫害は、豊臣秀吉の時代から明治にかけて行われ、犠牲者は、推定25万人だったそうだ(*)。日本二十六聖人記念館が建つ丘で、多くのキリスト教徒が命を落とした。外国籍の殉教者もいた。信仰のために。同記念館で「マリア観音(観音のように見える聖母マリア像)」を見た。それを冷静に「分析」することは、出来なかった。

16世紀、日本の文化を学び、尊重しながら、キリスト教の教えを伝えようとした修道士たちの話は、あまり知られていない。今回、フラシスコ教皇が長崎の地に訪れたことで、殉教者達の悲しみが癒やされてほしいと思っていた。

爆心地公園でフラシスコ教皇が献花した際、雨の中で祈っていた姿が忘れられない。あの時の雨は、被爆した方々とそして殉教したキリスト教徒の方々の涙だったようにみえた。

*『天声人語』朝日新聞.2019.11.25.朝刊.