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西洋美術を専門にしている私が、「西洋」に対して疑問に思うこと

美術史は、問題がある学問だ。

美術史は、ツールだと言っておきながら、問題があるのであれば、避けた方がいいのか。私は、そう思わない。問題を知ることで、今まで「見えなかったことが見えてくる」。視野が広がる。なぜ、その問題が起きるのか。理由を考えると意外なことがわかってくる。

美術に興味があるのであれば、知っておくとお得くらいで、このnoteを読んでいただければ幸いだ。

まず、本題に入る前に、以下のことをお伝えしなければならない。

本来、「美術史の問題」は、美術史全体の問題として話したいところだけれども、私は、西洋美術が専門で、日本美術、中国美術、韓国美術は、得意ではない。もちろん、専門以外のこれらの美術の「単位」は、大学で取得した。しかし、苦しかった。

例えば、仏教の教義に共感は出来ても、仏像に惹かれることはなかった。開き直るのでもなく、美術というものは、そういうものだと思う。好きなモノは、好き。苦手なものは、苦手。嫌いであれば、見るのもイヤ。(美術史を専攻するのでなければ)それでいい。

つまり、私がnoteで話をしている「アート」、あるいは、「美術史」は、かなり西洋美術史の視点で話していると思う。

前置きが長くなったけれども、「西洋美術史」という言葉に個人的に違和感がある。この違和感に、この学問の問題が隠れている。

美術史の中の境界線

博物館学的な分類方法が背景にあるかもしれないが、美術史を大きく、西洋美術史、東洋美術史(オリエント美術)と分けるのが一般的だ(海外では、中国美術、韓国美術、日本美術は、東洋の中に含まれることが多い)。欧米で、美術の通史は、西洋と東洋の美術の全てを含むが、その比率といい、西洋重視の印象は、拭えない。

まず、美術史を西洋と東洋に境界線を引くのが問題だ。

例えば、以前、大学院の進学先を相談した西洋美術史の権威(近代が専門)に「キリスト教美術を研究するのは、よいけれども、オリエント文化を少しでも扱うのであれば、西洋美術ではなく東洋美術へ行け」と言われたことがある。これには、正直驚いた。

なぜなら、西洋文化と東洋(オリエント)文化を切り離して考えられない分野が、キリスト教美術だからだ。

例えば、キリスト教の聖書の内容から、イエス・キリストにまつわる最も重要な教会は、イスラエルのエルサレムにある聖墳墓教会と考えるのが自然だ(*1)。なぜなら、その土地は、キリスト教において最も重要な「復活」の舞台だからだ。

イエス・キリストは、エルサレムの地で埋葬され、三日後に墓から出て復活したと信じられている。キリスト教の復活祭(イースーター)は、この復活を祝う祝日だ。

そして、この「復活」の舞台となった「イエス・キリストの墓」の上に建てられたのが、前述の聖墳墓教会だ(以下のサイトに、ナショナルジェオグラフィックの同教会の素晴らしい映像がある)。

ただし、西洋にとって、厳密にいえばイスラエルは、エジプト、シリア、ヨルダンに隣接するオリエントの世界だ。

つまり、キリスト教の教義にとって最も重要な聖地(イエス・キリストの墓)は、オリエントにある。もちろん、キリスト教は、オリエント世界で生まれた宗教だから、不思議ではない。

問題は、西洋美術史における聖墳墓教会の位置づけだ。

実は、一般的な西洋美術史の通史の教本には、キリスト教・カトリック総本山のバチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂の記載があっても、エルサレムにある聖墳墓教会は、まずない。

なぜなら、前者は、西洋にある教会=西洋美術、後者は、オリエントにある教会=オリエント美術(あるいは東洋美術)として区別されている背景があると推測する。

ちなみに、サン・ピエトロ大聖堂は、イエス・キリストの弟子の1人である聖ペテロ(カトリックの初代教皇)の墓の上に建てられている。つまり、西洋美術史では、弟子の墓の方が重要視されているかのごとく扱われている。

西洋とオリエントの関係

そもそも、西洋からみて「東方」を全て「オリエント」と考えることに無理がある。

この何気なく我々が使っている「オリエント」という言葉の裏には、西洋主導型の美術史が生み出したバイアスがみえてくる。

英国にいた頃、西洋美術と東洋美術(オリエント世界)の境界線を越えて研究を進める私に対して、エドワード・W. サイード(1935-2003)の名著『オリエンタリズム』を読むように薦めた中世美術専門の教授(英国人)がいた(*2)。

ちなみに、サイードは、パレスチナ人のキリスト教徒であり、米国で教育を受けているが、同書で西洋思想が作り上げた「オリエンタリズム」という幻想を痛烈に批判している。

前述の教授の真の意図は、定かでないが、英国で(いわゆる)西洋美術史を研究をしている東洋人の私にとって、この本は、衝撃だった。西洋があってこそ、オリエントが存在するという西洋思想の存在を、英国ではじめて知ったのだ。

この西洋美術史とオリエントの問題は、キリスト教美術だけに止まらない。

例えば、アート業界で、あまり語られないことであるけれども、近年まで、ユダヤ教美術は、西洋美術史の中で微妙な存在として扱われた時代があった(*3)。その背景には、第二次世界大戦中のユダヤ人の立場が影響しているのかもしれない。あるいは、18世紀のドイツの美術史家ヴィンケルマンによって古代ギリシア美術が西洋美術の模範として絶賛された歴史(後に新古典主義が生まれる)があるのかもしれない(*4)。

ちなみに、イエス・キリストもオリエントのユダヤ人だった。

つまり、我々が考えがちな、キリスト教美術=西洋美術と考えることに無理がある。このあたりの問題を見ない振りをする、あるいは気づかない西洋美術史の研究者達は、多い。もちろん、彼らの専門分野によって見解が異なるだろう。

ただ、美術史というツールは、西洋が作り上げたバイアスの部分があることを認識しておいた方が良いと思う。いっそのこと、西洋と東洋をひっくるめて「世界美術史」にすればいいのだけれども、そうすると日本美術が不得意な私は困るような気もする。

話しがズレたかもしれないけれども、こう考えると美術史という学問は、「見えなかった歴史が見えてくる」ツールとも言える。

そして、そのツールに問題があることに気づくことによって、境界線を越えた美術の本質が見えてくると信じている。

続きは、また。

註:
*1. 聖墳墓教会は、若干古い本だけれども、こちらがおすすめ。


*2.Edward Wadie Said.   Orientalism. New York, 1978.
翻訳本は、以下の通り。

*3.Margaret Olin. "Nationalism, the Jews, and art history." Judaism: A Quarterly Journal of Jewish Life and Thought, vol. 45, no. 4, 1996, p. 461+.

*4. ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン( 1717-1768)の翻訳本は、こちら。実は、古典美術の研究は、ギリシアとイタリアよりもドイツと英国が断然強い。

(ヘッダー画像は、著者が撮影した、英国、ロンドンの大英博物館所蔵、世界の七不思議のひとつ、ハルカリナッソスのマウソロス霊廟の一部と考えられている、馬の彫刻、紀元前350年頃 トルコより出土)