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ハワイの植物⑤バニヤン・ツリーを持ち込んだ人々

★世界最大のバニヤン
「ぐねぐねと太い枝を空に伸ばし、その途中から縄のような気根をたくさんぶら下げる。気根は、地に届くと地中に根を張って太くなり、1本の新しい幹となって上部を支える。年数を経た木は、たくさんの幹を持つようになり、1本の木がまるで森のようになることもある。異様な樹形だ。

世界最大のバニヤン・ツリー(インドのハウラー植物園)

木陰は暗く、神秘的だ。何本もの幹が複雑に絡み合う茂みの奥に、何かが棲みついている感じがする。インドでは、ヒンディー語でバル、ベンガル語でボトと呼ばれ、知らない人はいない。クリシュナ神が子供の頃、バニヤンを隠れ家するなど多くの神話と係わりをもち、ヒンドゥー教の人々から神聖視される。

世界最大のバニヤン・ツリー(インドのハウラー植物園)

釈迦がその下で瞑想したことから、仏教でも聖木とみなされる。神聖で、永遠不滅の力があると信じられてきたバニヤンは、人々に畏敬され、めったに切られることはなかった。高さ30mを超す高木になる。幹は灰褐色で、傷つけると乳白色の液を出す。葉脇に直径約1cmの扁平な球形のイチジク状果をつける」=西岡直樹『インドの樹、ベンガルの大地』(1998年)より

世界最大のバニヤン・ツリー(インドのハウラー植物園)

★マウイ島ラハイナのバニヤン
原産地がインドのバニヤンは、どんな経緯でハワイに入ってきたのか。
マウイ島ラハイナにあるバニヤンの大木は、キリスト教宣教師のハワイ到着50周年を記念してインドの宣教師が贈り、1873年4月24日にウィリアム・オーウェン・スミス保安官がラハイナ裁判所前の広場に植えたもの。

山火事の前のラハイナ・バニヤン・ツリー

当時は、わずか8フィートの苗木だったが、生誕150年を迎えた2023年4月には、高さ60フィートを超え、46本の主要な幹をもち、100m四方に枝を伸ばす、全米で最大の大樹に育った。何世代にもわたって、地元住民や観光客に涼しい日陰を提供し、その下では結婚式や各種のイベントが頻繁に開催されてきた。

1908年のラハイナ・バニヤン・ツリー

バニヤンは、ラハイナの町を焼き尽くした2023年8月8日の山火事に襲われた。火災後の8月12日に樹木医のスティーブ・ニムズ氏が調査し、葉や果実は萎んでいたが、木の下の土は焼けていないので「望みはある」とした。復活のシンボルとして堆肥が敷かれ、散水が続けられている。

2023年9月18日、ホノルル・スター・アドバタイザー紙は「山火事が歴史的な町ラハイナを破壊してから1カ月以上が経過し、樹齢150年のバニヤン・ツリーから新しい葉が群生して芽吹いているのが見られる」と報じた。

★イオラニ宮殿のバニヤン
カメハメハ3世は1845年、ハワイ王国の首都をマウイ島ラハイナからオアフ島ホノルルに移した。1874年に国王となったカラカウアは、1879年にイオラニ宮殿の建設に着手し1882年に完成。ハワイ初の電灯、シャワー、水洗トイレ、電話を設備し、舞踏会を開いて世界の賓客をもてなした。

イオラニ宮殿とバニヤン 2023年9月8日撮影

イオラニ宮殿の山側に、5本のバニヤンが枝を広げるバニヤン・テラスがあり、屋外パーティやコンサートなどに活用されている。このバニヤンは、インド王族からカラカウア王への贈り物で、カピオラニ王妃が1882年~1885年の誕生日に2本を植樹し、その後、共和国時代に一部が移植されたと言われている。

バニヤン・テラス

カラカウア王は、イオラニ宮殿が完成する前年の1881年に世界一周旅行をした。マレー半島南部のジョホール王国のマハラジャ、スリ・アブ・バカールの宮殿を訪ねた時、馬車に乗って、バニヤンの森、睡蓮の池、蘭の花園、ココヤシの森を堪能した。
バニヤンは、マハラジャからの贈り物なのかもしれない。

無数の気根が幹になり、森のようになる 2023年9月8日撮影

★カイウラニ王女のバニアン
カイウラニ王女は1875年10月16日、カラカウア王の妹リケリケとスコットランド人のビジネスマン、クレッグホーンの娘として生まれた。4歳の時、ルース王女から贈られたワイキキの土地に父が建てた2階建ての白い家に移り住んだ。父は世界中から花や木を集め、敷地の庭園に植えた。

バニヤンとアイナハウ(1887年)

父クレッグホーンは、2階建ての邸宅アイナハウの前に、ホノルルで初めてバニヤンを植えた。彼は、様々な種類の木や植物を島に紹介することで園芸への情熱を満たしていた。1885年に撮影された写真には、すでに大木となったバニヤンの木陰に置かれたベンチの中央にクレッグホーン、その右にカイウラニ。

バニヤンの木陰に座るクレッグホーンとカイウラニ(1885年)

1888年の写真では、クロッケーを楽しんだカイウラニ(右上)が友人とバニヤンの幹に登っている。
1889年にハワイを訪れた作家スティーブンソンは、まもなく英国へ留学するカイウラニと親しくなり、詩を贈る。その一節は次の通り。
「島々は太陽の下、カイウラニの出航を嘆くだろう
私は彼女の愛するバニヤンの木陰で彼女の姿を探す」
※アイナハウは、シェラトン・プリンセス・カイウラニの場所にあった。

クロッケーの後、バニヤンに登る女性たち(1888年)

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