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【人生はマラソン?】走りながら考えた

両足ふくらはぎと足首にフェイタスを貼って疲労困憊の私、松本発JRあずさ新宿行きの車内で久しぶりにnoteを書いています。生まれて初めて、しっかりめのマラソン大会に出場して、無事21km完走しました!リミットタイムの3時間以内の完走を目指していたので、2時間38分でのんびり楽しく完走できて最高な初レースでした!

(ちなみに、勿論ゴールテープ手前でウサインボルトばりに爆走しました!「あのシーン動画で撮りたかった、あれはやばかった」と姉が言っておりました。笑)

レース開始直前、安曇野マラソン大会のゲストであり、バルセロナ・アトランタ五輪メダリストである有森裕子さんもこうおっしゃっていました。

「今日が初ハーフマラソンの方〜?ラッキーですね!!どんなタイムでも、あなたの自己ベスト更新です!!」

ということで、私も自己ベスト更新です。こりゃあめでたい。

普通に生きていると、自己ベストを更新するのってなかなかない体験。いや、更新しているのに気がついていないのかも。これを機に、24歳の自己ベストの振り返りを兼ねて、自分が進化したところ・成長したところに目を向けてみよう。

2キロ地点

走り始めて2キロ地点を経過するくらいで日差しが強くなってきた。皮膚に太陽の光が刺さる感じがしてくる。ただでさえ練習をしていない上に暑いのがかなり苦手な私。何か考え事をして気を紛らわせようと、必死に色々なことに思いを馳せる。

こんなときに限って何も思い浮かばない上に、沿道の応援にテンションが上がりすぎて、一緒に走っていたはずの姉を何処かに置いてきたことに気がつく。まあ探すのも面倒だしどうせ後で会えるだろうと、そのまま黙々と走り続ける。

姉の代わりに(勝手に)私のペースメーカに任命したおじさんの後ろにピッタリついて、おじさんの首の皺と汗を眺めて走っていたら、ある言葉を思い出した。

「りの、人生は短距離走じゃないの。マラソンなのよ。」

言ってくださった方の顔が全くもって思い出せないけれど、なんだかこの言葉を何人もの人に言われた気がする。人生がマラソンならば、そのマラソンに必要そうな気づきを、ここにまとめておくことにする。

8キロ地点〜戦い方の変更〜

私は、勝つことが大好きな子だった。
金魚掬いでも、一輪車でも、幼稚園の縄跳びでも、鉄棒でも何でも、勝ちたかった。実際金魚は一つの網で30匹くらい取れたし、幼稚園では二重跳びもはやぶさも永遠に飛べたし、鉄棒ももしやあんたお腹に鉄くっついちゃってるんじゃないの?!ってくらい上手だった。

勝負事が好きなのもあっただろうけれど、どちらかと言うと「そんなの絶対に無理でしょ」とか「貴方には無理でしょ」と言われると、特に火がつく典型的な屁理屈負けず嫌い。無理だ、といってきた大人の「?!」という顔を見るのが、好きだったのもある(性格悪w)

とは言っても、元からとても運動神経が良かったり地頭が良かった訳では一ミリもなかった私は、いつも自分で作った「M3+5戦略」で勝ってきた。

「M3+5」が何の略かって?

M3+5戦略
=M(みんな) x 3 + 5(回)やる

(ダサい……せめてEveryoneとかOthersとか英語にしなさいな…みんなってなんやねん…14歳の若かりし私w)

面白いことに本当に私は大真面目に、その戦略に沿って今まで生きてきた。実際スポーツでも、学問でも、仕事でも、大体人の3倍くらいの量をこなして念のため後5回くらいやると確実にある程度のところに達することができる。こう書いてみると当たり前のことだけれど、本当に大体まではいける。持続性はないけれど。

30分間のランニングについていけなければ近所の坂道を2時間走ったし、英語がわからなくて良い成績が取れないならば教科書を全て暗記するまで読んだ。授業中発言できないなら毎回オフィスアワーに行って、予習を完璧にして質問を全て考えてから授業を受けた。自分はそんなにできるやつじゃないと思っていたから、とにかく人の3倍+念のため5回やって、生きてきた。

でもこの戦略には大きく欠けているところがあって、思い描いていたゴールには辿り着けても、自分はいつも、幸せではなかった。

自分だけ頑張っても意味がないことに気づいて虚無感に襲われたり、思い描いた目標を達成することに病的に夢中になって気がついたら大事なものを見失っていたり。あれ、私って何に勝とうとしていたんだっけ・・・。私ってなぜこんなに頑張っているんだっけ。と思いながら雪崩のように崩れていくのがいつものオチ。

そう、この戦略の根底にあったのは
①自分が人より劣っているという認識
②人は辛い辛い茨の道を通過しなければ成長できず幸せになれないという、偏りに偏った思い込み。

そういうどうでも良い思い込みと決別できたのが、この数年。この戦略のお陰で沢山良い経験ができて頑張ってくれた自分には感謝しているけれど、私は私のために戦い方を変更することにした。正確には、自己認識と自分にかける言葉を変えた。

私は今も旅の道半ばにいるけれど、それでも私は今の自分が好きだ。

人生100年時代だとしたら1/4のタイミングで気づいてよかった。自己認識と自分にかける言葉を変える。それだけで、人はずっと幸せになれる。

私の大好きな美輪明宏Botも言ってた。幸せに出前はない、完全セルフサービス!!(心の声: あーぁ、そりゃ私だって出前がよかったよ笑)

幸せに出前はないの。でもみんな待ってるの。誰かの力によって幸せになれる日を。依存心は捨てなきゃだめよ。
美輪さんbot 

16km地点〜衝撃の事実を大解放〜

あと5キロ。終わりが見えるようで見えない絶妙な地点。あと3キロまで行けば、気合が入るけれどあと5キロ。絶妙。絶妙な辛さと絶望感。そんなときに考えていた、ちょっと明るい気持ちになれる、最近知った衝撃の事実たち。

私は知らなかった。みんな、1日の終わりに疲れることを。
誰だって、たまに、世の中の全てがどうでもよくなるレベルでヘトヘトになる夜がある。疲れてしまうのは決して自分だけではない。そしてそんな夜には、余計なことをせずにただ寝りゃいい。

私は全然知らなかった。私たちは、元から何者でもなく、何者かになろうとしなくて良いことを。楽しいときにお腹がちぎれるくらい一緒に笑い、悲しいときに一緒に泣き、美しい景色を見て美味しいものをもふもふ食べ、また明日も頑張って生きいこうと思える人々と一緒にいられれば十分なのだ。

何者になんてならなくてよいから、ちゃんと自分を守ること。そしてできれば、半径10メートルの人を守ることのできる強さを持つこと。大事なものがなくなる前に、感謝して言葉にすること。それだけで、十二分である。

私は色々なことを、うっかり、忘れていた。

私たちはみんなそれぞれ美しいこと。それぞれが見えない、強くて美しい武器を持って生きていること。

挑戦するとき、誰かの許可なんて要らないこと。失敗しても良いこと。正解なんてないこと。

白いキャンバスに、自由に表現してよいこと。
誰かが望む自分ではなく、自分が望む自分で生きて良いこと。

私は約25年間も生きてきて、きっと小学校一年生で習うようなことを知らなかった。いや、知っていたけれど、順応するためにどこかに忘れてきたのかもしれない。

この1年は、そういうことを1から思い出す1年だった。

20キロ地点〜声援の力〜

このマラソン大会で1番感じたのが声援の力。安曇野の美しい景色はもちろんのこと、練習もそこそこに走り切れたのは沿道の地域の皆さんの応援に感動したから。

赤の他人のために、あんなに暑い中、そしてきっとコロナの心配もあるだろうに、わざわざパイプ椅子を外に出して、旗を振って応援してくれるおばあちゃん。

孫を見つめるような優しい目で沿道を眺めるおばあさん。「あとちょっと〜!頑張りい」と手拍子を叩くおじいちゃん。「ギャンバレーーー!!!」ともはや叫びまくる子供。リコーダーを吹いているおばあちゃん合唱団(ちょっとシュールw)。超笑顔でかっこよく太鼓を叩きまくる太鼓団の方。エイドステーションで水やスポーツドリンクを用意してくださる地元の中学生。めちゃくちゃお世話になった、身体に水をぶっかけてくださる方。

素敵な応援を受けるたび、頑張りまーす!ありがとうございまーす!と笑って手を振り返す。それだけで、本当に疲労が取れた。

赤の他人のことを、こんなに応援し合うのは、人間だけな気がする。相手を応援する純粋な気持ちが、心に沁みる。

あ〜、人間に生まれてよかった。

景色も人々の心も美しい安曇野!

21キロ地点〜終わりと始まり〜

あゝこれだから、人はマラソン大会にエントリーしてしまうんだろうな。困った。この快感はクセになりそうだ。

人生はマラソン。

ゴールテープを切るその日まで、好きな曲をかけて、好きな準備体操をし、好きな人と、好きなペースで、好きなように走れば良いのだ。

癖強め準備体操と知らんおっさん
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マラソンは絶対練習して出ましょう。

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