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日本女子マラソンの回顧と新谷仁美のマラソン2:19:24の記録

1月15日のヒューストンマラソンで新谷仁美(積水化学)が2:19:24の日本歴代2位の記録で優勝。日本の女子選手による17年ぶりのマラソンサブ2:20の走りであったが、本人が目標としていた日本記録の更新はならなかった。

36km手前からペーサーが抜けたことで、新谷はそれ以降単独走になった。

その直後はペースを維持していたが、最後の2.195kmで失速。それでも、鬼気迫る表情でフィニッシュラインに向かう勇ましさはライブ配信の映像から十分に伝わった。もちろん、優勝選手としての彼女の今回の走りには拍手を贈りたい。

前半69:09 / 後半70:15の2:19:24

今回のレースで、野口みずきが2005年に記録した日本記録の2:19:12がいかに高い壁であるかを再認識させられたが、今回の記事ではこの17年間に日本のマラソンのレベルがどのように推移してきたかを考察する。

なお、新谷は今年のベルリンマラソンで再び日本記録更新を目標に掲げているが、マラソンでは8月のブダペスト世界選手権や10月15日のMGC(パリ五輪マラソン選考会)には出場しないようだ。

1997-2009年:日本女子マラソン全盛期

1997年の世界選手権で鈴木博美が金メダルを獲得したが、1993年の同大会で浅利純子が優勝して以来の、日本勢による2回目の世界選手権優勝だった。

女子マラソンでは1997年以降、世界大会で日本勢は「3大会で優勝(鈴木、高橋、野口)+6大会連続のメダル獲得」という全盛期を迎える。

また、1997-2009年の世界大会のマラソン、10大会において日本勢は8大会でメダル獲得という安定感。「日本勢のメダル獲得はもちろんのこと、優勝できるかどうか」という時代だったことがわかる。

世界大会メダル獲得の年は全て日本最高が世界ランク6位以内だった

この13年間は、世界においてサブ2:20の年間達成者が0-3人の高き壁だったが、日本勢の3人(高橋、渋井、野口)が記録。さらにこの3人ともにベルリンマラソン優勝と、日本勢は記録も強さも兼ね備えていたことがわかる。

この時期には世界記録が年々塗り替えられていったが、同じように日本記録も年々塗り替えられていった。そして、当時の日本勢は選手層が厚く、実力通りに世界大会で結果を出していた時期だったといえるだろう。


2010-2017年:日本女子マラソン過渡期

2017年まで日本勢はいわゆる薄底シューズと呼ばれるレーシングフラットシューズを履いていた時代。サブ2:20の年間達成者数が6人の年もあったが、基本的には0-3人で推移している。この時期の日本勢の最高記録は2:22:17であり、記録順の世界ランクが全盛期よりも全体的に落ちている。

各年の日本最高が世界ランク6位以内だった年が1度も無い

この期間の世界大会での結果は、6大会でメダル獲得が1人のみと全盛期と比べると物足りない内容。世界大会にピークを持ってくるというノウハウはあったように思うが、そもそもの走力レベルが全盛期よりも低下した印象。

それでも、モスクワ世界選手権で銅メダルをを獲得した福士加代子が3000、5000mの元日本記録保持者であることを考えると、その高いトラックでの走力をマラソン選手として活かした例でもあった。


2018-2022年:日本女子マラソン低迷期

2018年以降はカーボンシューズの使用がスタンダードとなった。

女子単独レース(男子ペーサーがいないレース)の世界記録(2:17:01)を持つメアリー・ケイタニーなどを手掛けた世界陸連公認代理人のジャンニ・デマドンナは「カーボンシューズの登場でマラソンは全体的に記録が2-3分は速くなっている」と2022年にメディアでのインタビューで発言した。

カーボンシューズ時代までは、サブ2:20の年間達成者数が基本的には0-3人で推移していたが、2018-2021年には9-11人に増加。さらに、ラドクリフの世界記録はついに2019年に破られ、2022年にはサブ2:20の年間達成者数が29人と、大きな変化が起こった。

各年の日本最高が世界ランク10位以内だった年が1度も無い

2018-2021年のサブ2:18の年間達成者数が0-3人。確かに女子マラソンで少なくとも2分はシューズの進化で速くなっているようにみえるが、2022年にはサブ2:18が10人という「高速時代」になってきている。

しかし、日本勢はこの期間いおいて新谷がサブ2:20を達成するまでは誰もその記録を破る選手がいなかった。少なくとも2分はシューズの進化で速くなっていると言われる時代にサブ2:20の記録を出せるぐらいでないと、世界大会においては入賞するのが精一杯、というあたりの走力だろう。

世界大会でメダルの常連だった日本勢の全盛期には、各年の日本最高が世界ランク6位以内であったのに対し、今は10位以内に入ることすらできていない状況である。


新谷の2:19:24はどれぐらいの記録か

2022年はサブ2:20を29人が記録したが、そこに新谷の2:19:24を当てはめると上から数えて30番目となる(2023年はまだ始まったばかりなので2022年に適応させる)。高橋、渋井、野口の時代に2:19:24を出せば、当時は世界で年間1-2番の記録だったが、今では年間で30番目の記録。「少なくとも2分はシューズの進化で速くなっている」ということは、そういう意味である。

2022年は27人がサブ2:19を達成

新谷は2023年のベルリンマラソンで日本記録更新を再び狙うようであるが、サブ2:18を記録して「世界で年間トップ10のマラソン選手」となるぐらいのパフォーマンスを期待したい。

2022年は10人の選手がサブ2:18を達成した(TOP 10はサブ2:18だった)がシカゴ、バレンシア、ベルリン、東京で優勝した選手の記録は以下。

・シカゴ(R.チェプゲティチ):2:14:18
・バレンシア(A.ベリソ):2:14:58
・ベルリン(T.アセファ):2:15:37
・東京(B.コスゲイ):2:16:02

いわゆる高速レースといわれるグレードの高いマラソンで優勝するには、少なくともサブ2:17のレベルでないと難しいことがわかる。

男子とは違って、女子の場合はこれらのレースでフィニッシュまで先導することが許された男子ペーサーを起用することができる。これが何を意味するかというと、先頭集団の駆け引きを減らし、一定ペースを維持しやすい、ということである。

逆に男子の場合は、強いメンバーが集結するとペーサーが抜けてから、またはペーサーがいないレースにおいて牽制するのが通常である。つまり、高速コースではキプチョゲのように実力が抜けていない限りは30km以降に少しペースが落ち着くのが普通。そのため、女子レースのほうがカーボンシューズ時代において「トップレベルの選手における」記録の伸びが顕著である。


ペーサー無しの夏マラソンは性質が違う

キプチョゲほどマラソンで安定した成績を残す選手は稀であるが、かつてのラドクリフがそうであったように、男子ペーサーがいるレースでとんでもない快記録を出すような選手でも、選手権成績が突出しているわけではない。

出典:Wikipedia

ラドクリフは2005年の世界選手権を大会新で優勝しているが、五輪では3大会連続で入賞できず。理由として、ペーサーがおらず一定のペースにならないことが挙がるが、ラドクリフは夏のマラソンで成績を落としている(2005年世界選手権が行われたヘルシンキの夏は比較的涼しいので参考外)。

つまり、夏マラソンの気象条件が厳しくなればなるほど、波乱が起きる可能性が増える。実際に2021年東京五輪の女子マラソン3位のモリー・サイデルは現在もPBが2:24:42の選手である。サイデルはボストンやニューヨークといった記録が出にくいコースのマラソンに多く出ていてフラットコースではもっと記録が出せそうであるが、彼女は夏のマラソンに強く、東京五輪はピーキングが完璧にハマったという例だろう。


日本勢の世界大会での復活はいつか?

アフリカのトップクラスのマラソン選手にとって、WMMやバレンシアでの招待料が最も高い報酬であることを考えると、彼らが五輪に照準を合わせることはあっても、世界選手権には出場しないというケースを無視できない。

例えば、キプチョゲはマラソンで五輪を連覇しているが、世界選手権のマラソンに1度も出場したことがない。世界選手権よりもWMMで稼ぐほうが収入は多くなる。また、昨年の世界選手権のマラソン優勝選手(男子T.トーラ / 女子G.ゲブレセラシエ)が記録順で昨年の世界のTOP5に入っていないことを考えると、マラソンは五輪の方がメンバーが豪華であることは否めない。

そう考えると、五輪より世界選手権のほうが日本勢のメダル獲得の可能性が高いように思えるが、パリ五輪のマラソンコースがかなりの難コースであることを考えると「やってみないとわからない」という感じでもある。

こちらのnoteにも記載したが、現在の女子マラソンにおいて世界大会でメダルを取ろうとしたら「サブ2:20の走力」かつ「30km以降の加速が重要」という傾向があり、それはサブ2:20をネガティブスプリットで達成できるようなポテンシャルを持つ選手のことである。

2022年の女子マラソン記録順TOP 4
・シカゴ(R.チェプゲティチ):2:14:18(65:44 / 68:34)
※ チェプゲティチは2022年名古屋を2:17.18(69:03 / 68:15)で優勝
・バレンシア(A.ベリソ):2:14:58(67:18 / 67:40)
・ベルリン(T.アセファ):2:15:37(68:13 / 67:24
・東京(B.コスゲイ):2:16:02(68:06 / 67:56

ネガティブスプリットにないにしても、この4名に共通していることは、5km 15:50を切るラップ(3:10/kmより速いペース)をどこかの区間で記録して優勝している点。つまり、15分台連発のハイペースで飛ばすか、もしくはレースの終盤に15:40秒台のスパートかけられているか、という点である。

今回のヒューストンマラソンで新谷はサブ2:20を達成したが、前半に15分台のラップがなく、後半も5km16:30より速いラップがなかった(失速した)。

今後、日本勢が世界大会でメダルを獲得しようとしたら、男子ペーサーを起用するレースにおいてはサブ2:20の走力が必須とはいえ、スパート力ともいえる15分台のラップをどこかの場面で記録する選手の登場に期待したい。

現在、トラックで日本記録やそれに肉薄するようなレベルの選手がマラソン選手となった時は、15分台のラップやサブ2:20を出せる日本人選手がもう少し増えているのではないかと思うが、その時にサブ2:18の選手が今よりも増えている状況、例えば年間15-20人などの時代になっているのであれば、今よりもメダル獲得へのハードルがさらに上がることも予想できる。


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