見出し画像

世界の長距離界に旋風を巻き起こしたウガンダの3人の金メダリスト【①スティーブン・キプロティチ ②ジュシュア・チェプテゲイ ③ジェイコブ・キプリモ】

この10年間の陸上長距離種目の世界大会で、金メダル争いを繰り広げるのはケニアとエチオピアなどの東アフリカの国の選手であるが、最近ではウガンダの選手が存在感を発揮している。

ウガンダの陸上選手では、1972年ミュンヘン五輪の男子400mHで母国に五輪初の金メダルをもたらしたジョン・アキ=ブア、中距離では女子のハリマ・ナカイがドーハ世界選手権の800mで金メダルを獲得しているが、今回は中距離ではなく長距離選手にフォーカスする。

そして、ウガンダで最初に世界でブレイクした長距離選手といえば、モーゼス・キプシロボニフェイス・キプロプの2人が挙がる。

キプシロは2007年大阪世界選手権の男子5000mで銅メダルを獲得(優勝のラガト、2位のキプチョゲと競り合った)。英連邦大会やアフリカ選手権で金メダル獲得、2009年には世界クロカンで銀メダルを獲得し、5000mでは前ウガンダ記録(12:50.72)を今年の8月まで持っていた。

キプロプは2005年にブリュッセルでの伝説のレース:10000mに出場し26:39.77の前ウガンダ記録をマーク(そのレースで優勝したケネニサ・ベケレは前世界記録の26:17.53、3位のサムエル・ワンジルは26:41.75のU20世界記録をマーク)。キプロプは翌2006年の英連邦大会では10000mで金メダルを獲得した。

ウガンダの“セベイ族”は長距離の帝王“カレンジン族”の親戚

このキプシロとキプロプはともにウガンダ南東部のケニアとの国境に近い“カプチョルワ”(↓ピンのところ)という地域を拠点にトレーニングをしていたが、2人ともにケニアのカレンジン族に起源を持つセベイ族の選手であった。

スクリーンショット 2020-11-02 18.06.10

(カプチョルワからカレンジン族の住処の
エルドレッド周辺までは車で5-6時間の距離)

元々、イギリス領であったケニアとウガンダは現在では別々の国であるが、民族的にはカレンジン族とセベイ族は近い存在にある(地理的にも近いので元々同じ地域に住んでいた)。

現在では国は違えどウガンダのカプチョルワにはカレンジン族の人々も生活しており、カレンジン語も一部普及している。

カレンジン族はケニアの人口の1割程度にしか満たない民族であるが、ケニアがこれまで陸上の世界大会で獲得したメダルの約70%がカレンジン族の選手によるものである(カレンジンの長距離種目における優位性は諸説あるが、カレンジンは皆高地に生活している)。

そして、カレンジン族もセベイ族も名前に“キプ”という、カレンジン語で男性に付けられる名前から始まっている(例:Kipchoge、Kipsang、Kiprotich、Kiprop、Kipsiro...一部、KimやKib、Cheで始まる男性もいる:Kimtai、Kibet、Cheptegei)

名前からみても、カレンジンとセベイは祖先も同じ親戚同士ということであるということがうかがえる。

以下で触れるキプロティチやチェプテゲイ、キプリモといった金メダリストは全てセベイ族の選手であり、3人ともにカプチョルワの出身であるが、セベイ族はウガンダの人口4,000万人のわずか0.3%の割合しかいない部族である。

そして、このセベイ族もやはり高地(標高1900m以上)に住んでいる民族であるということが知られているが、高地に生活しているという点では同じく長距離界を席巻しているケニアのカレンジン族やエチオピアの長距離選手と同じ共通点を持っている。


金メダリストに憧れて金メダリストが生まれる

民族的、遺伝的にはカレンジン族にも共通するような身体的な特徴(下腿が細長い)を持つセベイ族は、高地に住んでいることや、食生活もそこまで大差ないことから、ほぼケニアのカレンジン族の選手であると考えてよい。

ウガンダには先述したキプシロやキプロプといった2000年代後半の世界大会で活躍する選手がいたものの、その頃はケネニサ・ベケレの全盛期ともあり世界大会での金メダル獲得とまではならなかった。

しかし、その歴史を2012年にスティーブン・キプロティチが変えた。キプロティチはケニアとエチオピアの選手が中盤からペースの上げ下げを仕掛けた激流のロンドン五輪の男子マラソンを制し、翌年のモスクワ世界選手権のマラソンでも金メダルを獲得。一気に世界のスター選手となった。

この活躍を受けて、若き日のチェプテゲイキプリモは刺激を受け、彼が本格的に陸上を始めるきっかけとなり、それから10年も経たないうちに2人はともにシニア大会で金メダルを獲得。ウガンダの強さを世界にアピールした。

今回の記事ではこの3人についてのプロフィールを以下に簡単に紹介していく。


オランダのGSCのウガンダへの投資

NNランニングチームを運営するオランダのスポーツマネジメント会社のグローバルスポーツコミュニケーションズ(以下、GSC)は、ケニアやエチオピア、南アフリカやウガンダなどで長距離選手のためのトレーニングキャンプを運営している。

ウガンダにおいては、GSCのジュリー・ファン・デル・ベルデン(キプロティチやチェプテゲイの代理人:↑写真左)というオランダ人のWA公認代理人が現地での選手発掘を担当している(彼はオランダの多くの長距離選手も担当している)。

チェプテゲイがGSCと契約したのは17歳の2014年。彼のプロ初レースはインドのバンガロール10kmのロードレースでジョフリー・カムウォロルに次いでの2位。その2ヶ月後のU20世界選手権10000mでは金メダルを獲得し、瞬く間にブレイクスルーを果たした。

そして、それよりも前、チェプテゲイが陸上を本格的に始めるきっかけとなったキプロティチに関しては、代理人のファン・デル・ベルデンがキプチョゲが所属しているケニアのカプタガトにあるGSCキャンプでのトレーニングを薦めた。

このように、2人の活躍には1人のオランダ人の国際代理人と、彼が所属するGSCというスポーツマネジメント会社の存在があった(=欧州資本のウガンダへの投資)。

キプロティチはケニアのGSCキャンプでキプチョゲらとパトリック・サングコーチのもとで2年ほどトレーニングを積み、ロンドン五輪での金メダルに繋げた。

その期間、彼の家族がいるカプチョルワには10-14日に1度の頻度で車で8時間かけて帰宅していたという(キプチョゲも普段はGSCキャンプで生活し、週末だけ自宅に戻る)。

これは、ウガンダには本格的なトレーニングキャンプが当時なかったことを意味していた(ウガンダから世界レベルの選手が続々と発掘されなかったことにも一部関係している)。

しかし、現在では先述した代理人のファン・デル・ベルデンや、チェプテゲイのコーチであるアディ・ルーターらの尽力もあり、カプチョルワにNNランニングチームのトレーニングキャンプがあるため、キプロティチはカプチョルワを拠点にトレーニングをしている。


長距離のメッカよりも地元を選んだジョシュア・チェプテゲイ

(コーチのアディ・ルーター氏, 左とチェプテゲイ)

5000mと10000mの2種目で世界記録を更新したチェプテゲイについては、次回の記事「【5000/10000m世界記録保持者】ジョシュア・チェプテゲイのトレーニングメニュー」で詳しく書いていくが、ここでは簡単な経歴や基本情報のみについて書いていく。

2014年にU20世界選手権の10000mを制したチェプテゲイは、18歳で臨んだ2015年北京世界選手権10000mで9位、19歳で臨んだリオ五輪5000m8位、10000m6位とメダルに届かずにいた。

ちょうどその頃チェプテゲイは、キプロティチと同じくキプチョゲのGSCキャンプでトレーニングをしていたが、

「ウガンダの若い世代の選手を鼓舞するためにも、自分の故郷でトレーニングをする必要がある」

と弱冠10台後半から考えていたこともあり、地元のカプチョルワに戻ってトレーニングすることを選んだ。

その頃、チェプテゲイの地元のカプチョルワにトレーニングキャンプを作りたいと思っていたのが代理人のファン・デル・ベルデン。まだまだ長距離での歴史が浅いウガンダで選手だけでなく、コーチのレベルアップも見越してオランダ人コーチのアディ・ルーターにNNランニングチーム・ウガンダキャンプのヘッドコーチになるかどうかを提案した。

元々、ルーターがオランダで指導していた中長距離のトップ選手の代理人を務めていたファン・デル・ベルデンは、ルーターが旅好きな旅人であることに目をつけていた。

家族や指導する選手、そして本業(ルーターはコーチ業を兼業している)をオランダに残しながらも、ルーターはウガンダに常駐する形ではなく、オランダとウガンダを行き来するスタイルでの指導という形でウガンダキャンプの発足時からチェプテゲイらの指導をスタートさせた。

その後のチェプテゲイの世界での活躍は皆さんのご存知の通りである。

2017年:ロンドン世界選手権10000m銀メダル
2018年:英連邦大会5000m、10000m2冠、15kmロード世界記録
2019年:世界クロカン、ダイヤモンドリーグ ファイナル、ドーハ世界選手権10000m優勝、10kmロード世界記録(1ヶ月後にR.キプルトに塗り替えられた)
2020年:5kmロード、5000m、10000m世界記録

※ チェプテゲイについては【5000/10000m世界記録保持者】ジョシュア・チェプテゲイのトレーニングメニュー」で。


イタリアのトスカーナトレーニングキャンプとジェイコブ・キプリモ

ウガンダではカプチョワが丘陵地にあるため、マウンテンランニングが盛んで、ウガンダは近年のマウンテンランニングの世界選手権で表彰台を1-2-3で独占する大会が多い(不出場の年もある)。

このようにトレイルのショートレースではウガンダ勢は【かなり強い】と思われるが、マウンテンランニングで強い選手が陸上長距離に転向するケースも多く見られる。

NNランニングチームに所属している選手や、その他のロードレースで活躍しているようなウガンダの選手のなかには結構な割合でマウンテンランニング出身の選手がいたりする。

10月の世界ハーフを58:49で優勝したジェイコブ・キプリモもその1人で、今季は3000mで7:26.64(世界歴代8位)5000mで12:48.63、そして世界ハーフで優勝。

今回の世界ハーフ優勝で10000mでももはやチェプテゲイよりも強いのでは?と言われる19歳。世界ハーフの後にはハーフで57:41を記録。10000m25分台も狙えそうな逸材である。

キプリモは弱冠14歳で2015年のウガンダマウンテンランニング選手権で優勝。しかし、ウガンダのマウンテンランニング協会はキプリモが若すぎたことから、世界マウンテンランニング選手権に派遣しないことを決めた。

その後、キプリモは本格的に陸上長距離に転向したが、その時にキプリモを引き抜いたのがイタリア人のWA公認代理人のフェデリコ・ロサと、イタリアのトスカーナトレーニングキャンプを率いるジュゼッペ・ジアンブローネである。

このトスカーナトレーニングキャンプは、冒頭で紹介した10000m26:39.77の元ウガンダ記録を持っていたボニフェイス・キプロプがかつて在籍したトレーニングキャンプである。

それからキプリモはイタリアのトレーニングキャンプでトレーニングを積み、15歳の時に5000m13:19.54、7月のU20世界選手権10000mで27:26.68の3位、そしてリオ五輪に弱冠15歳の若さで出場(5000m予選落ち)。

翌年の2017年にはウガンダで開催された世界クロカンのジュニアの部で優勝。

この後、キプリモのコーチは引き続きイタリアのトレーニングキャンプでキプリモのトレーニングを継続したいと考えていたが、キプリモは、かつてのチェプテゲイと同じように地元のカプチョルワでトレーニングすることを選んだ。

2018年はU20世界選手権で5000m6位、10000m2位、年末の10kmロードでは26:41(やや下りコース)の快記録を出した。

2019年は世界クロカンでチェプテゲイに敗れるも銀メダルを獲得。そして、2020年に19歳ながら世界ハーフを制した。

キプリモはヨーロッパでのレースがある前後は、イタリアのトレーニングキャンプで練習することもあるが、現在はカプチョルワを拠点にしており、コーチはRosaassociati's coach Uganda Projectを統括するイアコポ・ブラシが務めている。

このように、ウガンダの長距離が世界で活躍している背景には、オランダやイタリアといった欧州の資本が投資されているとうかがえる。才能のある選手がいる場所で、優れた指導者によって計画性のあるトレーニングプログラムを消化する。

これからもウガンダが世界の長距離で活躍することは間違いなさそうである。


【関連記事】


サポートをいただける方の存在はとても大きく、それがモチベーションになるので、もっと良い記事を書こうとポジティブになります。