ワインのお店、フランス料理、頭でっかち、生き延びることのかっこよさ

週報というのはあたりまえだけど週1のペースだから日記みたいに大変すぎなくて丁度いいなあと思っていたのだけど、結局年明けに一年のふりかえりを書いたきり1ヶ月以上経ってしまった。

この一ヶ月でいちばん印象的だったのは神泉の立ち飲みおでん&ワインバーにTwitterのひとと行ったこと。
料理もワインもうまかったのはもちろんだけど、店員の人に「これの料理にあうやつ教えてー」と言ったら「うちペアリングとか重視してないんで!」という返答が来る雑さがよかった。知識とかじゃなくて個々のパワーで押し切られる感じ。
いままでの人生でワインが出てくるタイプの外食に行くことが少なかったのだけど、いざ行くとなると気合が入るのでどうしても丁寧にペアリングしてくれるお店ばかりになってしまっていて、そのせいでワインに対するとっつきにくさというか、知識がないことの引け目みたいなものを常に感じていたのだけど、神泉のお店に行ってワインとの心理的な距離がだいぶ近くなった。

あとは、フランス料理を練習しはじめた。練習しはじめた理由は2つある。まずは練習を通じて知識がつくとお店に行ったときにいろんな角度で考えることができてさらに楽しめそうということ。
いまのぼくの状態だとフランス料理を食べても「肉に酸っぱいのがかかってるとおいしいなあ」くらいしか思えることがなくて、カレーは作れるせいで香辛料に対する解像度はやけに高いのだけど、結局全体に対する知識がないから味わいを言語として組み立てるのが難しくてすぐに記憶からなくなってしまう。プロがつくってるものを食べているのに価値を理解しきれないのはあまりにももったいない。

もうひとつの理由は、新居のキッチン周りの収納にあんまシックリきていなくて、ある程度凝った料理をしながら最適化していきたいということ。
ちかごろ生活のための料理に対するモチベーションがまったく沸かないので、たぶんのほほんと生きているとなんとなくシックリこない感じを感じたままガステーブルすら使うことなく暮らしてしまう。
半年のあいだカロリーとPFCバランスを調整する生活を経てからというもの、自分が毎日プロテインと白米+適当な脂質+マルチビタミン類を摂る生活でなんの不満も不調もなく暮らせるというのがわかってしまった。おいしいものは大好きだけど、学生時代にどんぶりをがっついていたころのような、食べ物に対する没入感を得られない。「おいしい」という判断も食事中グルグル考えながらほとんど頭だけで行っていて、喜びの種類としては新しい知識を得る喜びや既存の知識が意外なところで結びついたときの喜びと同じものだとおもう。
とはいえ、たくさんある調理器具を腐らせるのももったいない。だから新しいジャンルの料理に挑戦してみようと思った。生活のための料理にたいするモチベーションは今はないけど、新しい知識を獲得するモチベーションはある。

"毎日プロテインと白米+適当な脂質+マルチビタミン類を摂る生活でなんの不満も不調もなく暮らせるというのがわかってしまった"と書いたけど、結構前からこのことにはうすうす感づいていた。あさひるばんでメニューがかぶってもなんにも感じないし、野菜炒めとか作ってるあいだいつもテンションぜんぜん上がってなかったし、洗い物増えるだけだな〜とも思っていた。でも自分では認めたくない部分で、知らないふりをしていた。なんか頭でっかちな感じがしませんか? 身体性がないというか。
冷蔵庫にあるありあわせの食材で工夫しておいしいと思えるものを作る生活のほうが、なんかこう、しっかり日常をやってる感じがあってかっこいいと思っています。ぼくが言おうとしているかっこよさは身の回りのものをすべて自分化してしまう"丁寧な生活"みたいなものとは違って、もっと地に足のついた、生き延びるという感じに近いニュアンスで、むしろすべてを言葉に回収してしまわずに他者と居続ける強さみたいなものです。自分で書きながら思いのほかキレイなことを書こうとしているのにびっくりしているのだけど、たぶんぼくにはない力だからすごく美しく見えてるし、憧れてるんだとおもう。
でももうさすがに認めました。ぼくはそういうタイプじゃないし、頭でっかちなまま死ぬ。

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