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エニアグラムについて part7〜内へと向かう旅〜

われわれは、あるがままにものごとを見るのではない。
われわれがあるがままにものごとを見るのである。ータルムードー

この本の訳者まえがきの最初に書いてある一文。
正にここなんだと思います。
ものごとを私たち独自の見方で見て、それぞれの枠組みで理解します。

それが正に性格なのです。

自分の性格はこうだ、とか言うことはあると思うけど、それは性格自体が自分かのような理解から出てくる言葉なんだと思います。

ちょっとそこから離れてみたい。

そんな気持ちが芽生えたら内へと向かう旅を始める時期かもしれません。

エニアグラムはその羅針盤。
ただの性格判断のツールではありません。
そういうところを、もう少し分かりやすく解説していきたいと思います。

エニアグラム の中心にある考え方

人間はこの世で肉体を持ちながら創造主と同じ生命と精神を体現している「スピリチュアルな存在」であるということが人類普遍の理解です。

そして、その根本にあるひとつの要素と関わっています。それは
「自分を知る」ということです。
自分を知るということがなければスピリチュアルな探究を深く進めることはできません。

それは、自我が超越的次元にすぐ飛びつき「自分を深く知ること」から逃げてしまう傾向があるからです。スピリチュアルな探究は自我からすると実際の自分より遥かに成長しているように感じる危険性があります。

しかし、冒頭の一文を紹介したように、私たちがものごとを見ている、その私を知らなければ、本当に見ているものの正体は掴めません。
なので、探究のスタートは私たちが今いるこの場所からです。

自分を知るために9つに分かれるエニアグラムのタイプ診断。
まずは気軽にやってみましょう。

【エニアグラム9タイプ】
タイプ1:改革する人。一貫性や良識で他の人を導く。一方、完璧主義で憤慨する場面が増えることも。
タイプ2:助ける人。寛容さや癒しの力で輝く。一方、人を喜ばせることに走りすぎる。所有欲に悩む。おせっかい。
タイプ3:達成する人。優秀で真正であることの模範となる。一方、成功や地位を闇雲に求めてしまう。
タイプ4:個性的な人。創造性や直観力を発揮。むらっ気があって、自意識に足をひっぱられることも。
タイプ5:調べる人。未来を見通す知性や独創性がある。一方、エキセントリックになり孤立することも。
タイプ6:忠実な人。サービス精神の見本となる。一方、不安や反抗心に悩まされる。
タイプ7:熱中する人。多くを達成し生き生きしている。一方、衝動や短気に襲われる。飽きっぽい。
タイプ8:挑戦する人。パワフルで寛大なリーダー。一方、他人を威嚇したり支配する。
タイプ9:平和をもたらす人。人をまとめ葛藤を癒す。消極性や頑固さに足を引っ張られる。

こうして自己タイプを知っていきます。
自己タイプを知ることはプロセスの始まりです。

性格という催眠状態に気づくことにより、性格の自動的反映を止めること、自動化の制御が可能になります。

古代のルーツ、そして現代へ

エニアグラムの歴史を理解するには「図形」と「九つの性格タイプ」を区別する必要があります。
エニアグラム の図形の正確な起源はわかっていませんが、紀元前2500年頃のバビロンを起源とするとも言われています。
この図形の背後にある理念には西洋の伝統の一部である「神秘的哲学・神秘学・グノーシス派」の影響が見られることは確かです。

この図形を現代の世界にもたらしたのはギリシャ系アルメニア人「グルジェフ」です。
グルジェフは「魂を変容する」という完全な科学が古代人によって開発され、その後失われたと確信していました。人間の変容についてのこの失われた科学を回復したいという情熱の元、「真実の探究」を始め、世界を旅して回りました。
旅の途中、グルジェフはエニアグラムの図形に出会い、それまで築き上げた哲学を統合する体系を作りました。

グルジェフは、宇宙における自らの位置人生における目的を理解する助けになることを狙いとしていました。
主に自然のプロセスモデルとして捉え、全体が相互依存的部分であることを理解するというところが目的で当時は心理学的タイプ論ではありませんでした。

エニアグラム の図形は聖なる三つの図形が三つ合わさっている。

エニアグラム の図形はあらゆる存在を司る三つの聖なる法則を表す、三つの部分からなるとグルジェフは説明しました。

最初の法則は円です。

円は普遍的シンボルであり、一体性・全体性・調和を指し「神はひとつなり」という考えを象徴します。

そして、円の中に「正三角形」があります。

キリスト教では「父と子と聖霊」という三位一体という三つの成り立ちがありますが、こういう三つの成り立ちは洋の東西を問わず原始的な宗教で用いられる基本的なシンボルです。
グルジェフはこの三要素の表れを「三の法則」と呼びました。存在するものはすべて、三つの力の相互作用の結果であると述べました。
現代の物理学でも原子は陽子・電子・中性子から成り立っています。

そして三番目は

変六角形です。(1ー4ー2ー8ー5ー7の順を追う図形)
これはグルジェフが「七の法則」と読んだものを象徴しています。
これは時間の経過におけるプロセスと展開に関わっています。
あらゆるものがそれ自体の性質とそれらに働きかけている力に応じた、予測可能な法則の中で変化し再生し、進化あるいは退化します。
これを元に曜日、元素表、西洋音階のオクターブは作られています。

この三つの要素(円・正三角形・変六角形)をひとつにすると、エニアグラムが出来ます。

ものごとの全体性(円)、三つの力(正三角形)の相互作用、そして時間の経過における進展や変化(変六角形)を表すシンボルです。

グルジェフは「神聖舞踏」を通じてエニアグラムを説きました。ダイナミックに動く、生きたシンボルとして考えるべきだと説明したのです。

エニアグラムと性格タイプとのつながり

初めて、エニアグラムと性格タイプとをつなげたのはボリビア出身のイチャーソという人物。
イチャーソはエニアグラムを研究しているうちに、図形と性格とのつながりを発見します。「人間性に反映されている九つの神聖な特質」をこの図形に対応させたのです。

イチャーソによる、とらわれ(大罪)のエニアグラム

この九つのタイプは起源は古く三世紀まで遡りプロティヌスという哲学者の「エニアッド」に現れています。
その神聖な特質を歪曲した、対になるものがキリスト教の伝統に入り、「七つの大罪(怒り・プライド・妬み・ためこみ・貪欲・欲望・怠惰)あるいはとらわれ(passions)となり、さらに二つ(恐れ・欺き)が加わりました。

エニアグラムと七つの大罪が共通しているのは「それはすべて私たちの中にあるが、そのうちひとつがとくに何度も現れやすい」という考え方です。

天才的な閃きによってイチャーソは1950年代半に初めて、エニアグラムの図上に適切に正しい順序で位置付けることができました。これが今日私たちが使っているエニアグラムの原型です。

そして1970年代、精神科医ナランホがイチャーソの教えを元に心理学システムとの融合を果たします。人々へのインタビューやパネルで情報を引き出す方法を用いてタイプの理解を深めていきます。

こういったプログラムがアメリカ全土に広がっていく過程で著者のリソもエニアグラムを学びます。

1977年リソが「成長のレベル」を発見したときに更に大きな発展が見られました。
人々が人生において実際に通過する、成長と崩壊の段階的な変化を明らかにし、どの特徴と動機がどのタイプに対応するか、またそれはなぜかを示しました。一般的な印象より心理的動機を強調したのです。

それはつまり、私たちが自らの性格にどの程度一体化し、自由を失っているかを表しているのです。

私たちは性格をはるかに超えた存在である

エニアグラムの中核にある考え方です。

私たちの根本的存在、本質的自己はスピリットであるというのが真理であると考えます。
この本来の自己、本質から自分をいかに制限してきたのか、その道を辿る過程で自分の性格とぶつかります。
性格は箱への分類ではなくて、本来の自己へと近づくために明らかにする自分自身の鋳型のようなものです。

私たちがどのように本質を忘れ、自分自身を見捨ててしまうか、その心理学的メカニズムを基本タイプが明らかにしてくれます。

性格は生まれ持った気質の力を借りて、傷を防衛し埋め合わせる、そんな心理的な働きをしています。
子供時代に自分を守るために、無意識に身に付けた対応方法や自己イメージ、行動様式など誰もが持っています。
それが、過剰に使われると、その性格の中でうまく機能しない中心部分になってしまいます。

性格の防衛と対応方法がより構造化されるにつれ、私たちは自分自身、自らの本質との直接的つながりを失ってしまうのです。

自己感覚が本質の自然な表現というよりも、内面のイメージ、記憶、学習された行動に根ざすことになると、本質とのつながりを失うことが深い不安を引き起こし、九つのとらわれのどれかになって表れます。このとらわれが性格構造を作動させ始めるのです。

したがって、自分の性格タイプとそのダイナミックな働きを理解することが、無意識や自らの傷とその埋め合わせの実態に取り組み、最終的には癒しやこころの成長を可能にする上で特に効果的です。

根源的恐れと根源的欲求

性格のメカニズムはそれぞれのタイプの「根源的恐れ」で発動します。
「根源的恐れ」は幼児期において自らの本質とのつながりを必然的に喪失することから生まれます。
私たちは新生児として生まれたとき、成長するための生得的ニーズを持っています。しかし、当然ながらすべてのニーズを完全に満たすことはできませんでした。

幼児期に満たされなかったニーズやその後の疎外の結果として、私たちは人生のきわめて早い時期に自分の中の特定の重要な要素が欠落していると感じ始めます。この無意識の不安が根源的恐れの正体です。

そして、この根源的恐れの表れ方が九つのタイプに分類されます。
九つすべてに根源的恐れを見出すこともできますが、自身のタイプの根源的恐れが他よりもはるかに行動の動機となりやすいのです。

無意識に受けた子供時代のメッセージ

タイプ1:間違えるのはよくない
タイプ2:自分の欲求があってはよくない
タイプ3:自分なりの気持ちや自分らしさがあってはよくない
タイプ4:うまく生きられたり、幸せすぎるのはよくない
タイプ5:世の中で心地よく生きるのはよくない
タイプ6:自分自身を信頼するのはよくない
タイプ7:どんなことでも人に頼るのはよくない
タイプ8:弱みがあったり、人を信頼するのはよくない
タイプ9:自己主張するのはよくない

私たちは皆、無意識のメッセージを母親と父親(ならびに他の重要人物)から受け取りました。各タイプにとって、どれかひとつが中心になる傾向があります。どのメッセージが心に響きますか?

各タイプの根源的恐れ

タイプ1:自分が悪く、堕落し、よこしまで欠陥があることを恐れる
タイプ2:自分が愛されるにふさわしくないことを恐れる
タイプ3:自分に価値がないこと、本来価値を持っていないことを恐れる
タイプ4:アイデンティティや個人としての存在意義を持っていないことを恐れる
タイプ5:役に立たず、無力で無能であることを恐れる
タイプ6:支えや導きを持たないことを恐れる
タイプ7:必要なものを奪われ、痛みから逃れられないことを恐れる
タイプ8:他者に傷つけられ、コントロールされることを恐れる
タイプ9:つながりの喪失、分裂を恐れる

根源的恐れを補うために根源的欲求が生まれます。
この恐れと欲求はコインの表と裏の関係。
そして「もし自分に〜があれば、すべてはうまくいく」という「自我のシナリオ」を生み出すのです。

この自我のシナリオがあまりにも理想化され、他の正当なニーズが犠牲になり始めます。根源的欲求を求めるのは間違っていはいませんが、その過度な追及で自己を追い込んでしまうのです。

その結果、根源的欲求とその屈折という二項を持ち始めます。

タイプ1:高潔でありたい⇄批判的完璧主義に陥る
タイプ2:愛されたい⇄必要とされたいという必要に陥る
タイプ3:価値のある存在でいたい⇄成功の追求に陥る
タイプ4:自分自身でありたい⇄自己放縦に陥る
タイプ5:有能でありたい⇄無用な専門家に陥る
タイプ6:安全でありたい⇄信念に対する執着に陥る
タイプ7:幸福でありたい⇄必死の現実逃避に陥る
タイプ8:自分自身でありたい⇄たえざる戦いに陥る
タイプ9:平和でありたい⇄頑固な怠慢に陥る

本質は性格によって制限される

心理学では成熟し優れた人格の大人として機能するかどうかは成長するために必要な特定のニーズが幼少期にどれだけ満たされたかによってほぼ決まると考えられています。
満たされなかった欠陥を補うために性格が作られ、それは骨折した骨を守るためのギプスのようなものだと考えられます。
このギプス的な役割はある成長段階では必要で、傷を癒してくれますが、それを外していかないとそれ以上の成長はできません。

このようにして性格を見てきた場合、心理的に生存するための助けになってくれただけではなく、成長の取り組みがどこで一番必要かを指し示してくれます。
但し、性格の大部分は、条件付けられた反応や恐れ、信念の寄せ集めに過ぎず、本質とはかけ離れています。
したがって性格との一体化は「深い自己放棄」に終わります。

私たちが変化に抵抗する主な理由の一つは本質へ戻ろうとすると、必ず自己放棄した痛みを感じるということです。

こうした理由から自己放棄した部分と取り組んでいるとき、以前は知らなかった自分自身についての真実が明らかになるかもしれません。もしくは、昔の傷や恐れ、怒りを再体験するかもしれません。

ですから、「自分自身に対する慈しみ(compassion)」を育てることが必要です。
性格を脱ぎ捨て、本質に返っていく。
最初のうちは成長過程で生じた「欠落部分」に取り組むのに時間と労力がかかります。
しかし、私たちの存在の核はいつも支えてくれています。

私たちは自分自身になる機会を待っているのです。
私たちのスピリットは自由になり、自己表現をし、生命力を取り戻し、本来の姿で世界にありたいと願っています。

そのプロセスは私たちの性格が叶えてくれる訳ではありません。
その性格を脱ぎ、越えて行ったところに本質の姿があるのです。

そのために、しっかりと自分の性格と向き合うことが必要なのです。