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価値の源泉はそもそも内側から溢れ出している

温泉に入っていて感じたことです。

源泉掛け流し温泉って、僕の住んでいる地域には結構あるんです。

もう、溢れっぱなし。

でも、蛇口からどんどん出続ける温泉水を見ていると、「あっ!勿体無い」とか思って蛇口を閉めそうになります。

しかし・・・
これって天然なので、ずっと溢れ続けています。
循環の中にいるんです。
だから、よくよく考えたら勿体無くはないのです。

つい癖で価値は有限だから、節約しようとか、取っておこうとか、思っちゃう。
でも、天然の循環する価値は無限、無限の富なんです。

この価値の源泉を外側の物と認識したとしましょう。

そこからは自分は分離していて、温泉ってすごいな!と思っている感じ。

でも、対象化しているその存在を内側に感じることが出来たなら・・・

それ自体が、内側から無限に湧き出ている価値となります。

そんな風に思うなんて難しい・・・
そう思ってしまいますね。

それも無理はありません。
それは私たちの認識の形、ゲシュタルトがそうだから。
ゲシュタルトは私たちが共有している認識の前提、みたいなイメージです。
だからこれって、無意識化しています。
普段はあまり考えることもありません。

しかし、このゲシュタルトってすごく大事で、私たちの社会をある意味裏で構成しているとも言えるのです。

大事すぎるから、こういった概念はあまり学校では教えてくれません。
世の中をコントロールしたい人たちはこのゲシュタルトを握っているので、その仕組みなどは、知られたくないもの。

だから、長い間、多くの人には知られずに、一部の人が握っていた、限られた世界観だったのです。

しかし、色々なことが民主化されてきました。
情報の民主化、そしてこれから価値の民主化も起きるでしょう。

そうなった時に、気がつくのです。

ゲシュタルトも自分たちで作れるじゃん!

そして、このゲシュタルトも一つでないといけない訳ではありません。

自分にとって、心地よい、自然なもの、自分らしいもの。
それでいいのです。

そんな時代に差し掛かろうとしています。

そうなった時に、天然の温泉水のように無限に湧き出る価値を自分の内側のように感じられることってすごく豊かです。

身の回りにある、自然の富に気がついて、それと一体になれる感覚って、とても豊かだと思うんです。

元々、日本という国土は海の幸、山の幸に恵まれ、土地にも栄養分がたっぷりです。水も豊か。
何もしなくても、身の回りに豊かさが溢れています。

その存在は私たちの内側の映し絵だと思えば、価値の源泉はそもそも内側から溢れ出している、と気が付きます。

そんなこと気づかせてくれる、天然の力、自然の力。

もう一度、私たちの魂が帰還するとするならば、この場所です。

彷徨える魂の還る場所。

そういう未来を思い描きながら、この土地で暮らしています。



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ゲシュタルトについてわかりやすく書いた書籍です。
是非、読んでみて下さい!