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空間に愛を見出す時代


音楽ってすごいですよね!

音の美しさ、ハーモニー、響きだけで、説明もいらず人を感動させてしまう。

だから、若い頃にすごく憧れました。
音楽を奏でる人になりたいって。

よくよく考えると、音楽は音です。
聴覚で味わうもの。

芸術の中には様々な分野がありますが、音楽だけはとても異質だなと気が付いたことがあります。
冒頭に紹介した、過去の記事はそういうところを深掘りした内容です。

音楽は素晴らしい!それは間違いないのでけれど、それは「愛こそ全て」というお題目で全てを語ってしまう、スローガンに近いもののような気がします。
今の宗教はこの形をベースにしていて、愛という概念をゴールにしたため、それ以上は不可知で、ある意味そこへは民衆は辿り着けないと初めから思わされています。

耳から入る音、安らぎの起源は胎児の記憶にあると思います。
絶対的な安心の中で育まれた音の世界。
だから、音の世界は国や民族による隔たりは少ないと言えるでしょう。 
だから音楽は国境を軽々と超えるのです。

しかし、わたしたち人間は生まれてから、触覚や視覚、そして言語を手に入れます。
胎児のままではいられないのです。

そして固体意識、空間認識、人間関係などと高度な認識を手に入れます。

特に中心になるのは視覚の世界。
見えるということ。

この見えるという世界にまだ、愛を見出せていないのではないでしょうか?
ここでいう愛とは愛情のようなものでは無くて仕組みとしての愛、構造としての愛です。

構造としての愛を探るには目の前に見えている世界にもっと注目する必要があります。

目の前にある存在をあらしめている存在に目を向けるのです。

神社の本殿には鏡が置かれています。

前には後ろが写った鏡があります。

神社では前と後ろが統合されています。

前は見るわたし。
後ろはあなたから見られるわたし。

わたしとあなたが統合されて、空間認識が起きている。
空間認識においては、常にわたしとあなたが根底にあるのです。

それがわたし(I)とそれ(IT)に変えられてしまった世界が愛なき世界。
盲目的な愛しかわからなくなってしまいました。

音楽は素晴らしいです。音はみんなをつなぎます。
でも、この空間に愛の構造を見出せなければ、ただ音楽は空々しく響くだけです。

今までは見えてなかった。
そんな中でも音を頼りに音楽を頼りにひとつになってきました。

これからは空間に愛を見出す時代です。

空間を見る視座を養う時代です。

実はそれが二元を超えていくヒント。
非二元のヒントです。

頭の中から出て、世界を旅しましょう。

そこにきっと答えがあるはずです。