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絵画は視覚芸術、音楽は聴覚芸術

アートという意味では、絵画も音楽もアートだ。
心の世界を表現するということ。

でも大きな違いがある。
目を使うか、耳をつかうか。
ここは大変大きい。

ここのところの違いを人間の器官の発達という観点から比べてみたい。

器官としては、視覚と聴覚、獲得する順番としては聴覚が先だと言われる。
すでに胎児の頃には聴覚が発達していて、母親の体内の音や外界の音を聞いている。そういうことから胎教として、良い音楽を聞かせましょうと言われたりする。

見えないのに聞こえる世界ってどんなだろう?

母親のお腹の中で、ゆらゆらと漂っていた期間、その間に聞いていた音。
おそらく、穏やかで、平和で、安心に満たされた期間であったのではないか。

音はそこから始まっていて、音楽はその後、生まれる。
音楽はそういう安心感や母性的な癒し、世界との調和が根底にあって、生まれ出てからも、その記憶を呼び起こす力のあるものなんだと思う。
だから、感情と直結している。

音楽で何かを曲を演奏する場合、曲が進んでいく展開の仕方はすごく大雑把に言うと、「安定」⇒「不安定」⇒「安定」という構造を進んでいく。そして必ず安定で終わる。安定のための不安定。不安定は寄り道みたいなものだ。でもその振幅、ドラマが感情を揺さぶる。
必ず最後、帰る場所は決まっている。安定に帰らないと音楽は終われない。

だから、これは子宮回帰というか、絶対的に平和な安全な世界を求める本能が作り出した表現とも言える。
もちろん、この本能に対してのアンチテーゼとしての表現、音楽もたくさん存在するが、それはあくまで反映として生み出されたもの。

だから
音楽の中に永遠がある
という感覚は、大げさではなく、誰にとっても感覚として分かるのではないかと思う。


そして、絵画、視覚の芸術。
これは難しい・・・。
絵をみて感動する、心が動くというのはなかなか高度だと思う。

芸術を深めるためには本物を見るといい、と言われるので有名な絵画を直接見たりしたこともある。
しかし、やっぱり心は揺れない。
もちろん、その作家の芸術にかける想い、生き方、そういったことに触れて感動はするが、作品を観賞して心が動くという経験は僕はないかも知れない。

どうしても「上手い」とか下世話な感想を持ちがち。
そして、何か芸術家にしかわからない感覚をもっているんだ!
そういった感想で終わってしまう。

でも、ほんとうはもっともっと奥が深い世界なはずだ。

実際どうなのか。直接聞いたことは無いけど、きっと

私には世界がこう見える。

ということを描いているんだと思う。

これって実は大変高度な感覚。

見るということを、メタな感覚で見るのだから。

聞こえるには共通の帰る場所がある。
だれにでもある、胎児の記憶。

しかし、見えるには共通の空間として浮かび上がるイメージがない。

この世に生まれ出て、徐々に世界が見え始め、知覚する世界は各々が違うのだから。

そう考えると視覚世界って何だろうと思う。

見えるって?

そこで浮かび上がってくるのは「光」だ。

見えるには光が必要なのだ。

つまり、絵画は光の芸術、光の表現なのだ。


聖書に「神はひかりあれといわれた」という言葉がある。

これは天地創造の流れの一つであると言われる。

それだけ光はわたしたちにとって大きな存在。
そして、父性的なイメージ。

この母性と父性の2つの性質を象徴する芸術、それが聴覚芸術、視覚芸術として表されているのではという仮説が僕の中で浮かんできた。

人間は初め胎児の時期に音の世界を感知する。聴覚はすでにこのときに獲得されている。それは安心と母性と共に。
そして、生まれて、一人の人間として生きていく過程で視覚、光を感知する。
このときは既に母体から切り離され、一人独立した状態だ。
その中で、光を頼りに自立していく。ここは父性の力だ。

僕が音楽では心が動くのに、絵画では動かないというのはここの違いがあると思う。
母性は説明されるまでもないけど、父性はある意味概念的なイメージ。

つまり、父性のことをよくわかっていないのだ。

見えるとはどういうことか、光とは何なのかが分かっていない。

どうやら、それは神という存在や天地創造ということに大きく関係がありそうだが、まだ分からない。

その正体はきっとその概念を解体することによって、露わになってくるものだと思う。宇宙創生や哲学的な問いの先にあるようだという予感はする。
これから私たち人類が到達しようとしている、一つ上の次元。

画家たちが視覚芸術で見せてくれる、光の世界。
きっと彼らはメタな視覚から、世界を見ている。
父性を見ている。
そこにアクセスするためには空間の構造、光の本質、時間の姿、そういうものを解体しなくてはいけない。

時空を越えて行くのだ。

音だけではなく、見える光の世界に宇宙の摂理と安心を見出せるようになったとき、いままでため込んでいた感情が一気に溢れ出すだろう。