見出し画像

時間と空間を超えたところ

天才物理学者アインシュタインが提唱した特殊相対性理論。
この理論の中に光速度不変の法則というものがあり、光の速度はどんな状況下でも不変だと定義されている。

この光速度が秒速約30万kmと考えられ、一秒間に地球を七周半駆けるイメージが持たれている。

これを基に長さを決めて、同時に時間も決まっていく。

速さ=距離÷時間

だから空間を測る物差しのような働きをしている。

そして、光は見えるに大きく関係している。

太陽が見えたということは太陽の光が見えた、月が見えたということは月からの反射の光が見えた、街の看板が見えたということは、看板からの反射の光が見えたということになる。

因みに太陽の光がわたしたちに届くのに掛かる時間は約8分。
光速度が不変で定義されているから、この時に同時に距離も算出される。

つまり、光速度を定義した時点で時間と距離、つまり時空が前提の世界が作られた。

だから、目に見えるものには全て距離があることになり、見えている像は基本、過去ということになる。
日常生活の距離感はそれが一瞬だから、ほぼ今だけど、太陽くらいの距離になると、8分。8分前の太陽の姿をいつも見ている。
そして、夜空に輝く星々は何万光年だなんて、スケールの広いものもある。

つまり、遠いとは、過去なわけだ。

ここで考えてみたいのは光に対するイメージ。

この時、光は光線がビームのように進んでいるイメージを持つのではないかと思う。

地球を7周半している光も光線が駆け巡っているイメージ、太陽から地球に向かう光も光線のイメージ。

この光の姿は光を物質、粒のようにイメージしているはずだ。
目の前を新幹線が高速で通り過ぎるあの感じを、重ね合わせて、超早い光の姿をイメージしていると思う。

でも、光というのは波長でも表される。
現に可視光線というスペクトルがあって、人間には見えない光も定義上はある訳だ。

つまり、この段階で既に光の定義が根本的に違っていて、素粒子の二面性、粒が波か?のような二面性にぶち当たる。

光速度をベースにした世界は時空の世界。
この時は光を動くものとして認識する。
だから、距離と時間が生まれてくる。

では光を動かないものと見ると、どうだろう。
動かないもの、というか観測の角度を変えてみる。
光と向き合ってみる。
としたときに、わたしたちが今知覚している世界に距離的な時間的な差異なんてあるのだろうか?

光が左から右へ進んでいくようなイメージではなくて、見えている世界そのものとイメージを変えてみると、そこには個別の距離なんてない。時間なんてない。
全てひとつの光、像な訳だ。

つまり、主観の世界には、距離は無い、時間は無い。
客観を取り入れることで、時空は作られる。

アインシュタインが提唱した、3次元+時間で4次元時空という考え方は客観を取り入れている。

そのことを忘れて、主観を見失ったのが今の人間という状態。
そのことに気がつく為なのか?量子力学は人間のそれまでの常識では理解が出来ない、謎かけを出してくる。

3次元を卒業して、次元を上げるとは、この謎に向き合うこと。
そして、新しいゲシュタルトを作ること。

つまり、時間と空間を超えたところに行くということだ。
それは巷で言われているムーンショット計画とは全く違う。

そういう新しいゲシュタルトを作るべく、出雲の地であれこれ、考えている。