モヤモヤする時代の生き方の実験
はじめまして。
手始めにこのnoteの内容について説明する。
端的に言うと、「生きる」という実験の記録である。
noteを始めたきっかけは2019年12月。1989年12月生まれ、つまり平成最初の12月に生まれた私にとって30歳を迎えた瞬間であった。
なんのときめきもなく迎えた30歳の誕生日に
2020年は何をしようかな
なにか変わるのかな
とぼんやり考えていたが、考えれば考えるほど、先の見えない社会の中で何を期待すればいいのかわからなくなった。
そんなときふと2013年の就職活動のことを思い出した。
5歳で阪神淡路大震災を、21歳で東日本大震災を経験。当たり前だと思っていた日常がいとも簡単に崩れ去った。大学を卒業する頃には当たり前ということを疑い始めて、企業に就職することにも興味がなくなってしまった。
社会経済の中でお金を稼ぐことが正しいのか。世の中を便利にするだけで豊かにできるのだろうか。本当に自分が納得できて、やりたいことを確実にできる仕事に就きたいと思い、とりあえず大学院に入り、時間を稼いだ。その頃、コミュニティデザインという職業に出会った。お金は稼げないが、小さな社会を確実に幸せにできると確信した。インターンシップに行った流れで、大学院修了後、その小さな個人事務所に勤め始めた。
入る頃からわかっていたが、雇用されるという生き方ではなく、社会人1年目から個人事業主として働き始めた。友人は何ヶ月にも及ぶ新入社員研修を受けながら何も考えず当たり前のように給料が振り込まれる。かたや私は成果主義で銀行口座の底がついたら請求書を会社に送付し、給料の振込を依頼する。だいたい3ヶ月に1度程度。
こんな働き方は馬鹿げている、ブラック企業だ、大学院まで出てワーキングプアだななんて言われることもあった。しかし、私はこれから個人事業主が活躍する時代だし、複数の肩書きを持ちながら生きていく時代であると感じていたので気にしなかった。働くの当たり前を疑ったのだ。
キャリアアップのため、某設計会社の戦略策定、UX設計をする部署に転職した。26歳の時であった。20代はスキルを得ながらキャリアを積み重ねようと考えていた。
そして、30歳になった。大企業病に冒されていた。長いものに巻かれ、安泰な暮らしをぼんやり期待しながら生きていた。
30歳の誕生日に何をしようかと考えた時、このようなことを思い出し、noteに登録した。人生100年時代だとか、終身雇用が崩壊するだとか、AIに仕事が奪われるだとか、5年先の未来もわからないのに、ただただ呑気に生きていられない。まずは文章化し、考えを整理しようと。そして、今の当たり前を疑い、実践、検証をしようと。
誰が見ているかもわからないし、期待もあまりしていない。しかし、これからの生き方に迷っている人がここに辿りつき、参考にしてもらえればありがたい。
このノートでは主に下記に内容について記そうと思っている。
今はこれぐらいかと思うが、煮詰まり始めたら話題が逸れるかもしれない。
私は決して頭のよい人ではない。偉そうなことも書けない。
周りの人間から聞いた話や気になったことを深掘りし、実践してみて、自分の地肉にした上で書いていくので、何ら目新しいことは書けないし、ただの経験談の域を超えない。
どのくらいのペースになるかわからないが、気ままに「生き方の実験」をしていこうと思う。
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