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メロディー

この先、もしものことが僕に起きたときのために、デジタルタトゥーを刻んでおくことにした。

既知のひとも未知のひともいるかとおもうが、私は双極性障害の手帳持ちだ。
双極、躁鬱というと、感情のアップダウンが激しく、コントロールが難しいと思われがちだけれど、僕の場合は、少し質が違う。

家庭不和、私生活における失敗や喪失、パワハラ…そういったものが複合して醸成され、鬱症状から躁鬱に転化していった。

主たる特徴としては、外的・内的プレッシャーに対しての緊張状態、臨戦態勢を解くことが著しく下手で、常に心が張っているフシがある。これが一種の躁状態であり、張り詰めた弦が切れて、あらぬほうへ矢が飛んでいってしまう…それが私の場合の鬱転。こんなイメージだ。

私は頭は悪くないとおもう。見た目も最低限以上に気を遣ってきたつもりだし、人付き合いも仕事も、それなりに要領よくこなせるタイプだ。

結果的に好意を持たれたり、あるいは仕事に誘われたり、恵まれた出会いはあった。自分から積極的に行動することもあった。ただ、ここぞという局面で必ず鬱転した。なんの前触れもなく。

期待に応えたいとか、こうあいりたい理想みたいなものが強すぎるのかもしれない。

失意を覚えても、どうにかこらえて、静かに充電をして、同じ轍を踏むことがないようリスクヘッジをして、また挑戦し再起を賭け、それでもやはり、幾度となく挫折した。

高血圧や高血糖の方が、健康に配慮しながら生活していくのと同じように受け止めてきた。目をそらすことのできない自身の一部として、なんとかそのなかで、できることを少しずつでも。そう思ってきた。

春先に障害年金の申請が受理され、いくぶん私の未来は明るくなったかのように思えた。

しかしながら、その後のここ3ヶ月ほどで、これまで以上にマイスペースが破壊され、一部の理解者とは裏腹に社会的に排斥され、明確に病気が理由になる、超えられない壁にぶち当たってしまった。

少しでも明るい未来への羨望、割り切り受け入れる覚悟、直面する現実への不安。数多の挫折。それらが入り混じりながら生きてきた時間は、すでに人生の三分の一を超えた。

そしていま、私が茫漠と思い描いてきた自分の笑顔は、まったく見えなくなってしまった。荷物を背負いながらも背筋を伸ばして立つ姿は、人の形でなくなってしまった。夜闇に荒廃する無機質な砂漠の風景だけが、私に残された唯一の絵になった。

ほどなく80歳を迎える両親に対して、いつからか「早く死ねとまでは思っていない」という感情しかなくなったのだけれど、とうとう自己認識さえもそうなった。

症状として希死念慮に苦しんでいたころ、とにかく死への強迫観念や苦しみから逃げることに必死で、同時にそれは、根源的なな生への執着だったのだろうと今はおもう。死にたいは、生きたいだ。

ただ、どこかでそのどちらも、今はなくなってしまった気がしている。さようなら、私。また会えたら。






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