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言い訳は極上の才能を纏う

心理を学んでいくにあたって、肉体に向き合い始めることになった。
人間の臓器はこの世界のあらゆるものを処理している。
私は栄養士の免許を持つほど『栄養知識』については詳しいのだが
それが自分の仇となっていることにやっと気がつくことができた。

人間の身体は排泄機能がついている。
これは生命維持に必要な栄養素を取るときに
同時に接種してしまう毒を解毒して体外に排出しなければならないからだ。

主に『胃』で消化し、『肝臓』であらゆる解毒をする。
胃は40度前後で物を解かし始める為、人間の体温もその設定になっている。
昨今人気の『白湯』は胃をその温度にするのを手伝うためだ。
人間の臓器は人類の智慧の集大成だ。
胃の中に冷えたものを入れると再加熱するためにオーバーヒートする。
そして、そのオーバーヒートを冷ますために脂肪がつく。
脂肪は冷却装置ということになる。
これは腸の部分でも同じことが起こっている。お腹を冷やすとよくないというのは、身体の反応が冷やすことで再加熱してオーバーヒートするというサイクルを繰り返させないためだ。

身体を冷やしたり、ゆるめたりするものを『陰』、身体を温めたり、かためていくのが『陽』という考え方を東洋医学ではするそうだ。

暑い日に冷たくて甘いものが欲しくなったり、寒い日に暖を取る理由も全てがこの身体機能のどれかに役に立つためということになる。

身体がうつ症状がでるときは『情報処理を遅く』したり『瞳孔の調整をバグらせ』たりするらしい。目的はただ一つ、『休め』ということだ。

解毒が追いつかなくなると、脂肪をつけてなんとか冷やす処置をとる。
それでも無理だと脳に命令をだしてだるさを演出して休ませる。

全ては『私』という生命を生きながらえさせるために起こした事だった。

そんな身体の意図に気づいたときにどうしようもなく愛おしくなったのだ。
身体はいつだって私という存在の為に手を尽くしてくれていた。
どんな劣悪な環境だろうが、私を維持させるために存在してくれたのだ。

肌荒れも、憂鬱も、眩暈も全部が私の生命維持装置だと気がついたときに『守ってくれてありがとう』と心から感謝することができたのだ。

私は私をみないための言い訳をたくさんしてきた。
それは『人に尽くすこと』だったり『優等生でいること』だったり
ときには『世界に刃向かうこと』だったりした。

でも、その言い訳こそが私の才能だと思った。
生命維持のための言い訳を脳が全部考えてくれていたのだ。

世界にあるありとあらゆることは『誰かが存在するための言い訳』だ。
そこに正解や不正解を突き付けるのはいつだって部外者。
それがその人の生きるために必要だった言い訳だった。みんな生きたいんだ。生きたいから、死にたくなったりするんだ。
この矛盾こそが才能であり、命というものの陰と陽であるのだろう。

自分の『陰』と向き合うということは即ち『才能』と向き合うことだ。
そして、『陽』と向き合うことは自分の『真実』に向き合うことだ。

たくさんの影と向き合って、たくさんの陽に包まれていけるのが人間だ。


最後までお読みいただきありがとうございます、今日もいいことありますよ!