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短歌を詠んでみたい-アイドル歌会に参加して-(11月エッセイ②)

アイドル歌会というイベントを見に行った。
アイドルを集め、短歌を詠むというシンプルだけど珍しいイベントである。選者に俵万智さんを迎え、かなり本格的なイベントだった。僕はこのイベントを知るまで、俵万智さんを国語の教科書でしか見たことがなく、勝手に歴史上の偉人だと思い込んでいた。そんな人が出演するライブに行くのは初めての体験で、楽しみだった。

短歌に触れる機会はこれまでほとんどなく、難しい・堅苦しい・決まりが多いといったイメージを持っていた。
高校時代、通っていた予備校の古典の講師がとてつもない古典オタクだった。授業中、源氏物語の豆知識や「君の名は。」の元ネタ解説など、試験勉強とは一切関係ない知識をたくさん披露していた。僕はその人の授業を受けるのが毎週の楽しみだった。その反面、文化の奥深さに触れる度、知識がないと楽しめないという考えが頭の片隅に残った。好きな作品はインタビューを見たり、ネット上の考察を見てみたり、見方を広げるきっかけにもなったけれど、昔からずっとある歴史の深いコンテンツは心の底から楽しめないものだと思っていた。

その最たる例が短歌だと思う。古典の物語の中で、有名な短歌の一部を引用して想いを伝えるといった教養の高さを示す描写が出てきて、自分の触れていいジャンルじゃないと感じたのを覚えている。

ここからは短歌は全然そんな難しく捉えなくてよかったという文章になる。
アイドルたちの自由でユーモアのある短歌やアイドル/ヲタク両者の目線で詠まれた歌は、自分にとって馴染みやすく、たくさんの発見があるものだった。発表された短歌を1度自分で読んでから、作者本人の解説ありきで読むと、全く違う歌にも聞こえるし、解釈が違くても楽しめるところがすごく良いと思った。

宮田愛萌さんの
『弱弱しい力で握り返されてそのためらいに恋を信じた』
という短歌が読み上げられた瞬間、心を掴まれた。
俵さんも評していたけれど、普通なら恋を“感じた”とするところを、“信じた”と表現しているところが素敵だと思った。今この瞬間に恋が生まれたという、俯瞰した目線ではなく、あくまでも相手との1対1の関係で描かれている。“恋愛ってこういうもんでしょ”という客観的な見方ではなく、自分から相手へと気持ちが向かっていく様子がリアルでグッと来た。
そして“握り返されて”というそもそも自分から握っていないと起こらない描写に悶絶した。

帰り際、俵万智さんの歌集「アボカドの種」がサイン入りで置いてあり、迷わず購入した。
まだ一度しか読めていないけれど、特に
『関係を分類できず見上げれば名前を持たぬ星が瞬く』
という短歌から、過去に思いを馳せる切ない様子が心に浮かんだ。
歌集には大人だからこそ起こり得る淡くて切ない恋の歌もいくつか詠まれているように感じた。その中で、この歌は、告白して付き合うという関係がハッキリしている恋愛だけでない大人になってから、今も思い出す相手のことを考えていて、あの時の思い出や後悔を振り返っているように思える。
空を見上げると、あの時の自分たちの関係のように名前のない星が光り輝いている様子が目に映る。あの頃の思い出の煌めきと星の輝きが重なる。同時に、この地上からあの星へは手が届かないように、あの時のあの人には決してもう触れることができないということを痛感する。

これだけ豊かな文化に触れて自分も短歌を詠んでみたくなったので、最後にいくつか短歌を発表して終わりたいと思う。

これっぽっちも負けるはずないにらめっこ
対戦相手、預金通帳

人間性 推し量れない偶像を
推すしかないな 触れられずとも

岩石で皮膚を削って消えちゃおう
この世に残る苦しみの痕

舞台観て 短歌をよんで いい気分
酒を喰らいに向かう窓辺で

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