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勝手な信用、裏切られた気持ち(12月エッセイ③)

12月が近づいてくると、イチャつくカップルへの不満やイブとクリスマスに予定がないことを過剰に嘆く人が大量発生する。
リア充爆発しろ、クリスマスなにそれおいしいのといった具合である。しまいには酔った勢いで過去の恋人への思いを綴ったり、周りの友人の恋人をいじってみたり、見ていられないほど病み始める人たちがいる。怨み妬み嫉みの3点セットな愚痴を垂れ始める。
ただそういう発言をしている人たちも、自分に彼氏や彼女ができた途端に人格が入れ替わったかのような様相を見せる。

一時の感情で周りにモヤモヤとした感情をまき散らして、周りに伝播させたのち、時が過ぎたらそんなこと忘れた顔して、"今が幸せ"だとハッピーオーラを醸し出し始める。“おすそ分け”みたいな顔をして、「あなたも早く“幸せ”になったらどう?」と自分と同じ幸せを持っていない人を見下している。
不幸を感じている時も幸せを感じている時も、自分以外の全てを嘲笑したような態度の人が嫌いだ。

僕は学生時代、クラスで目立っている人たちをナナメに見ていた。周りの数人の友達とその人たちに対する小言を言うのが常だった。だから、少しでも自分が目立ちそうになった時、強烈な羞恥に襲われる。
これはそうした人たちを馬鹿にしてきた自分のツケだ。一度自分が否定したものには負の感情が一生付き纏う。
みんなもそうだと思っていたが、周りを見てみると、案外そんなことなくて、自分が自意識過剰なだけだったと気が付かされる。

散々特定の人に向けて悪口を言ったあと、いざ自分が満たされる時が来たら『あん時は悪かったな』みたいな顔して、すぐ仲良くできる人の器用さは一体なんなのか。
あなたのせいで僕はその人のことを嫌いになったのに、この感情はどこに持っていったらいいんですか。

中学生の頃、同じ塾に通っていた友人が自習室に来る度に、同級生の悪口を言っていた。その話を聞いている間、どうすればいいか分からなかったので、とりあえずヘラヘラして聞いたふりをしていた。その子の悪口を何度も聞いているうちにだんだん自分もそいつのことが嫌な奴に思えてきた。
卒業式の少し後、友人と友人が悪口を言っていた同級生が数人で一緒にディズニーランドに遊びに行っている写真がタイムライン上に回ってきた。
陰で悪口を言っている人間でも、表では堂々と仲良くしている。そういう人間が1番信用できない。人の意見だけで人を嫌いになるほど空虚なことはないとその時に思い知った。自分の友達が仲悪いからといって、その人と境界線を引くこともない。

人を悪く言ったり、メンチ切るなら一生そいつに背中向けて生きるつもりで言ってくれ。
頼むから自分の言葉に責任を背負ってくれ。

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