「それぞれの愛を語ろう。僕愛と君愛」

※ネタバレ注意

今回は公開中の映画「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」の感想となっています。ネタバレの要素を多分に含みますので、まだ見ていない方やネタバレをされたくないという方は申し訳ないですが、閲覧ご遠慮ください。

先日、「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」という映画を見てきた。見る順番によって結末が変わる今までにないような試みをしている映画で公開前から興味を持っていた。並行世界を行き来するなかで、それぞれの世界で起こる恋模様や人間ドラマによって、幸せとは何か、人を想う気持ちとは何かを強く問いかけてくる作品だった。

主人公である暦は両親が離婚したり、学生時代はほとんど友人ができなかったり、辛いことや上手くいかないことがたくさんあるように思えるものの、周囲の人物からとてつもなく愛されている人物だと感じた、そしてその愛を素直に受け取れる人間だと思った。「僕愛」で、おじいちゃんとの喧嘩をして仲直りができないまま、亡くなってしまったあと、並行世界に飛ばされた暦はおじいちゃんに謝罪の言葉を口にする。するとおじいちゃんは、「怒ったからって嫌いになるわけじゃない」と言い、続けて「自分が悲しいのと相手が悲しいのどっちが辛いか」を暦に問う。普通は自分が悲しいのが嫌だから、自分が悲しまないように相手を傷つけてしまう。だけど、そうやって自分を優先すると、取り返しのつかない結末を生んでしまう。おじいちゃんとのこの対話が暦にとってひとつのターニングポイントになっていたように思う。

この気持ちを知っていたからこそ、最愛の息子を失った13番目の和音に対して優しく寄り添うことができたのだろう。

そして物語のクライマックスに「知らない他人の幸せを幸せだと思えたそのおかげで自分が幸せであることに気づけた。」すべての和音にありがとうと言いたい、とおじいちゃんになった暦が和音に言うシーンがある。僕はすごいセリフだと思った。身近な全ての人間から受ける愛を真っ直ぐに受け取れる暦だからこそ言えたことだと感じた。

そしてこの作品では2人のヒロインによって描かれている愛が異なると感じた。和音=家族愛、人としてのつながり、栞=恋愛、恋人としてのつながりのように違うと考えた。和音は、「暦が栞と出会わない世界線」でのみ結婚ができ、それ以外の世界線では、共同研究者として暦が栞を救うために全てを尽くす存在となる。和音は自分1人が残されるということが分かっていても、暦の望みならと協力してしまう「僕愛」で暦から与えられる「ありがとう」の言葉によって、おそらく和音は救われた気持ちになっていると思うが、もし言われていなかったとしても和音は暦の望みを叶えるために起こした行動は究極の愛であり、幸せのひとつのカタチなのではないかと感じる。それに対して、栞は「暦と出会う世界線では必ず死ぬ」という辛すぎる運命を持っている。2人の望みは「将来結婚すること」だったが、2人が出会ってしまえば必ず栞が死んでしまうことから、暦の願いは「栞を救うこと、そしてその願いを叶えるためには栞と出会わないことが絶対条件」となる最終的には栞を救うことに成功はするが、幼い頃の願いである「結婚」は叶えることができなかった。結ばれなかった世界線においてもなお、2人は再会を果たし、栞の言いたかったあのセリフを言うことができている。それだけで大きな救いがある。

これまで人々が生活を営んできた中で、何度も愛情や幸せについて何度もその定義が問われてきたかと思う。誰かと誰かが恋をし、結ばれることが愛であり、結婚をして、子供を生んで、家を買って、車を買って、旅行に行くことが幸せで…など挙げればキリがないが、世の中の人が一般的に愛や幸せを定義するときに連想するのはこんなところだと思う。でも、それはあくまでも一般的な価値観であると考える。愛情や幸せといったものはもっと独善的で主観的なものであって、定義できるようなものではないはずである。先ほど挙げたものはほんの一例にすぎないが、人々の中には固定観念としていまだにそれらこそが幸せだと考えられているように思う。「僕愛」と「君愛」では、一般的な定義として存在する愛情や幸せと、その定義からすると一見狂っているような愛情と幸せとが両方丁寧に描かれているように感じられた。

自分はいじられ役やまとめ役を任されることが多く、周囲のイメージでは、信頼を置かれている人やみんなから愛されている人物だと思われがちだけれども、信頼を置かれるほど何かに優れているわけではないし、愛のないいじりには過剰に反応してしまうので、周りから好意的な印象とのギャップに苦しむことが多かった。暦のようにいつでもそばにいてくれるような人物は自分にはいなかったように思う。僕からすれば、暦の人生は常に愛で溢れていた。僕も周りにきちんと目を向ければ、素直に愛を受け取れるのかもしれない。

どちらの物語をとってもそれぞれの登場人物に悲しみや辛さがある。それでも、僕は僕愛→君愛の順でしか見てないけれども、どっちの順番で見ても、全てのの登場人物のそれぞれの幸せを感じることができた。人々は誰しもが、悲しみややりきれない思いを抱えながらも、誰かを愛するということに命を燃やし、そこに幸せを感じとることができる。誰もが強い愛情を持ち、人からの気持ちを素直に受け取れるのだと信じたい。

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