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「答え」の見つけ方

つい先日、考え事をしていました。


所謂、「答え」の無い考え事です。「幸せって何だろう?」「自分の楽しいことって?」「どこに向かって生きていけばいい?」みたいな類のようなのです。そんなことを考えてると、もう一人の自分を作って自問自答のようなことを始めます。

「なんでそんなことを考えているんだい?もっとシンプルに行こうぜ。」
「そんな弱さを持ってるのは愚かだよ」

などと好き勝手にもう一人の自分は言い出します。そこで長山は思いつきました。架空のキャラクターに自分のことを言わせれば、自分自身に言い聞かせられているような感覚になり聞く耳を持つのでは?と。
そもそも、自分の中でグルグルと捏ねくり回しているから落ちどころが見つからない。それならばいっそこんな風にしてみた。

酷いもんだ。我ながら本当にデザインの仕事をしている人の絵のクオリティとは思えない。絵心の無さには心底がっかりする。
そんなことに凹んでいる場合では無い。こいつら(タバコ吸わせたキャラ達)はまさに長山の答え無き考え事をまとめて前向きに導いてくれているのだ。

自分で自分に問う。これはきっと悩み事や人に頼ったりしないタイプの人がよくやっている事かも知れないけど、結構これが大切な事だったりする。一旦、自分のことについてゆっくり考えてみると、様々な事が思い浮かんでくる。これは瞑想でよく言われる「自分の心の声に耳を傾ける」事だ。

ここで長山のエピソードを1つ。
18歳の時に、シルバーアクセサリーを作るのを学ぶために上京してきた。当時、同じクラス内では自分と同じようにアクセサリーが好きで学びに来た人たちが集まっていた。長山も人並み以上には手先が器用(自惚れが過ぎる)で授業もスムーズにこなして上手い方だな、なんて調子に乗りながら作ることに没頭した。


ある日、授業の内容が「好きなデザインをジュエリーにする」というものだった。その時に「よっしゃめっちゃカッケーもん作ってやるわ」なんて意気込んでいた。いざ作り始めるといつも決められたデザインを作る授業とは違い、テンション上がって楽しく製作した。

そして、意気揚々と指輪を作っていたのだが、全体のシルエットが出来た手前で手が止まった。「これはどこまでやったら完成になるんだ?」そんなことを頭がよぎった。その瞬間に、何度作り直しても納得する形にはならなかった。技術の上手い下手以前の自分の中に湧き上がるイメージ、ぼんやりしたものが次々に変化して行く。


捉えられない、自分の納得するとこが分からない。講師に相談しても「どんな形がいいかは長山くんにしか分からないから難しいなぁ」としか言わない。んじゃ誰に聞いたらこの答えは見つかるのだろうか?

そして締め切り前日まで結局自分の納得する形にはならずに課題提出となった。講評会でも自分が何を作りたくてこの形にしたのか上手く説明も出来ずに「美しい曲線を作ろうと思って…」と言葉を詰まらせた。
自分にしか分からない完成地点が見つけられないままに物を作り続けることはこんなにも苦しいものなんだとその時痛感した

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同じクラスにレンという男友達が居た。そいつは嫉妬する程「作る」のが上手かった。中学生の頃からシルバーアクセサリーが大好きでこの道に来た自分とは真逆で、「なんとなく。もの作り面白そうと思って」という理由だけでここに入学し、この学校にくるまでクロムハーツすら知らないくらいシルバーアクセサリー自体に興味が無い奴だった。とにかく何を作らせても技術では絶対に敵わなかった。


レンにある時、課題で自分の納得する形が上手く出来なくて悔しかったって話をした。「お前は作るのがめっちゃ上手くて課題もなんなくこなしてそんな涼しい顔してるのが羨ましいよ」と吐いた。涼しい顔して淡々とレンはこう言った。

「元太は自分の作りたい形、イメージがあるんだろ。俺には元太みたいに作りたいイメージってのが無いんだ。技術なんてさ、やってれば後から付いてくるじゃん。俺からすれば作りたいイメージがある元太の方が羨ましいけど。」

そんなことを言われるとは思わなかった。作るのが上手くて何を作っても形にしてきたレンの口からそんな「羨ましい」と言われるなんて。「元太は考えすぎなんだよ。きっと技術がまだついてきていないだけ」と笑いながら言われたその言葉が頭から離れなかった。


自分には技術が足りていないだけ、それだけならまだ答えとしてわかりやすい。けれど、それだけじゃ無い何かが頭の中をぐるぐるとしていた。

自分の中のイメージって何だろう。何が美しいと感じてそれを作りたいって思うんだろう。明確な答えが見つからない。
しかし、その考え事は小さな出来事で解決することとなった。

俺の大好きなルネマグリットの絵を宇都宮美術館に見に行っていた時のこと。そこにたまたまマグリットの生涯について書かれた本が美術館内に置いてあった。


その本には、マグリットが今まで辿ってきた人生や表現手法の変化や考え方について書かれていた。そしてマグリットが言った自分の絵画に対する説明を読み、自分のずっと抱えていた「答えのない考え事」に光がさした。

「目に見えるものは目に見えないこともある。しかし、私たちの思考力は、目に見えるものと見えないものの両方を把握しています。」
ルネ・マグリット

自分の苦しみは目に見えない事を目に見える形で表そうとした事で生まれていた。
でも実際は今目の前で作り上げた「目に見える形(アクセサリー)」には「目では見えない事(イメージ)」の両方あり、形にした物の中に見えないイメージが内包されているのだと。

それは思考によって自分は既に理解されていることだから全てを目に見える形にすることは出来ないしする必要がない。それは自分だけが分かっていればいいのだと。見えないことで生まれる神秘性がある考え方をマグリットの言葉によって気づく事ができた。

それからというもの、自分の中に浮かんだイメージを全て「形」で表すことを辞め、上手い下手関係なく自分の中で「形になってきたな」と思うようにした途端、あれだけ見えてこなかった答えが急に目の前に出てきたような感覚を覚えるようになった。


作り進めるうちにイメージした形と形にはならないイメージを上手く切り分けて少しずつ形にしていく事で、ようやく「完成」という答えが見つけられるようになったのだ。

そして気づいた。完成の形はいつでも自分のすぐそばに転がっていて、転がった答えを自分自身の思考が見えないようにしていたんだと。今思えば10代の頃の自分は考え事を整理整頓する事が凄く下手で不器用だった。


不器用な思考は不器用に前を向き続けなければならないって心のどこかに植えつけられていた。だからせっかく見えたはずの答えを拾う事なく蹴り飛ばしていた。

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そんな10代の頃の長山のエピソードがあり、20代になった今でも同じような事で躓くことは多々ある。生きていると仕事だけでなく人間関係や環境など様々なことで不器用な思考を働かせて頑張って答えを見つけられるようにしている。


もし、10代の長山に27歳になった長山が会って話せるなら、きっと沢山の「不器用なりの考え方」を話してやりたいと思う。

そんなことをここに綴っている間に、また新作で答えが見えなくなっていそうだ。大丈夫、焦ることはない。自分の中にあるイメージという姿をした「答え」という名の形はそう遠くへは行っていないはずだ。

答えのないことで頭を抱えている人がいるのなら、答えは見えない所にあるだけで、必ず存在しているんだよ。そしてそれは自分の近くにあるんだよって伝えて行こうかなと思う。

器用に考えられるタイプの人間じゃない自分は、些細な言葉1つでそのことに気づけた。何でその気づきを得られるかは人それぞれだと思う。


だからこそ、答えが見つからないときは、自分が「好き」と思う何事かに「寄り添って」みよう。「好きなモノ」は自分が見つけた一番近くにある「答え」だからね。


長々とお付き合いくださりありがとうございました。
では、またここでお会いしましょう。
ご機嫌よう。

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