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「名を奪って支配しようとするんだ」-千と千尋の神隠しに隠されたメッセージ

こんにちは、すりみです。
再上映が始まったジブリ作品の一つ、「千と千尋の神隠し」をさっそく観てきました。
とんでもなくハクが美しい、、と思いながら、観て考えたことを書きます。
ネタバレ含むので、まだ観たことのない人は観た後で!お願いします。

序盤、千尋は神が集う油屋のある世界に引き込まれてしまいます。
この世界で生きるためには、湯婆婆のもとで働くしかないので、千尋も例に漏れず「湯婆婆のもとで働きたいです!」と必死に交渉し、なんとか生き残りに成功します。

名を奪い支配する

その中で、最も印象的に映ったのは、湯婆婆が必ず働かせる者の名を奪うということ。

千尋も、元の名を奪われた直後に、元の名を忘れかけています。ハクはこのような千に対し、「湯婆婆は、名を奪って支配しようとするんだ。君は自分の名をちゃんと取っておくんだよ」と言います。
(※セリフは記憶の中のもので公式のものではありません。)

この「名」に関するエピソードは物語の根幹を成しています。
物語全体を通じて、ハクは忘れていた自分の名を取り戻し、縛られていたものから解放され新しい歩みを進める予感で、物語は終わります。

「名を奪われる」が意味すること

私がこのエピソードから連想したことは、植民地支配を受けた人々が支配国への同化を強いられたエピソードでした。

ちょうど日本による台湾植民地の歴史についての講義を取っています。
講義では、台湾語を話せばいじめにあったり、その先のキャリアが閉ざされ生きていくことが難しくなったりして、植民地支配を受けた台湾の人が日本語を話さざるをえなかったこと、それによって人格が破綻してしまった人がたくさんいたことを聞いていました。

「制作者はこの映画を通じて、名というアイデンティティが奪われる恐怖を表現し、異なるバックグラウンドを持つ人への共感を求めているのではないか」という仮説を立てました。

たとえ名を奪われてしまったとしても、生きることはできると伝えているかのように、映画の中でも油屋で働く元気な千尋の姿が描かれていますが、
所々に、不意に自分は誰なのか分からなくなって泣いたり、何かが欠落していることに不安を感じたりして、アイデンティティが破綻している千尋の姿が描かれているように感じました。

おわりに

今回書いたことは私の憶測でしかないのですが、様々な対象を通じて自分の中の考えが深まることはとても楽しいし、対象を見る目が変わってくるのもまた面白いです。また一つ映画の楽しみ方を知ってしまいました。次に見る映画が楽しみです!

特に今回のジブリ4作品再上映に関して、
「当時、制作者が何を伝えようとしてこの映画を作ったのか」
「現在、今を生きる人に何を考えて欲しくて再上映しているのか」
これらを考えることは途方もないけれど、何か生きるためのヒントが見つかりそうだと思いました。

追加で、
「顔なしが果たす役割は何なのか?」、「リンはどこ出身なのか?」、「千とハクの結ばれない愛に何を示しているのか?」などなど考えたいなと思っていることがたくさんあります。
何かアイデアのある方はコメントや記事を書いていただけると喜びます。

今回も思ったことをつらつら書きました。写真は劇中のハクが美しすぎて私が衝動で描いた絵です。

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