007 代謝⑦ 代謝と社会


の続きです。

人間をはじめとする生物は、個体として代謝を行い、絶えず外部の物質を摂取する必要があります。そして、栄養の摂取自体を他の個体に代わってもらうことはできません。たとえ「食べるだけ」の人間であっても「食べること」は自分でしなければならないわけです。生物は本源的に摂食を自らへの責任として所有することになります。

ほとんど多くの生物個体は、自らへの責任としての摂食は、捕食行動等の自らの採食行動で満たします。これは自明のことといえるのですが、生物の進化につれていくつか例外が生じます。その最も大きいものは子供への給餌(wikipedia:動物の子育て)です。

進化の道筋は一意的ではありませんが、一般に高度な生物になるほど、子供への給餌のウェイトは大きくなる傾向があります。高度な生物になるほど、たくさんの個体を生んで分散するというやり方が難しくなることと、子供を守りながら育てる能力の余裕ができることが理由として考えられます。

自ら採食できない個体が、採食行動を行う個体と結びつくことではじめて摂食を満たすわけですが、個体で完結しないという意味で、子供への給餌は社会の祖型と言えます。

動物の中には、多くの家族が集まって群れを形成するものがあります。採食や給餌は個体や親子単位で行うのですが、外敵に対する警戒・防御などにおいて、群れとその成員が社会としての機能をなすものです。

さらに、一部の動物では探餌や捕食といった採食行動を群れで行います。特に狩りを集団で行う動物では、各個体は役割を分担しており、直接に獲物を捕らえるのは一部の個体なのですが、獲物は群れの中で何らかの形で分配されます。ここでは個々体の自らへの責任としての摂食が、他個体と依存した採食行動によって満たされるわけです。こうした採食の共同化と分配をもって、単なる個体群でない「社会」が形成されたと見ることができます。

原始時代の人間もまた共同で狩りをし、「社会」を持っていたと考えられています。そこでは狩りに参加する者のほか、少なくとも乳幼児や妊婦等に対して分配が行われたと考えられます。

人間の採食行動はその後、農耕や牧畜と高度化・複雑化していきますが、そうなると食料生産そのものが分業されたものになるほか、食料生産地に付帯するさまざまな仕事への分業が行われるようになっていきます。ここでは食料は食料生産従事者の手から、それら分業した共同体の成員の人間の口に分配されます(これは管理者が貢納・徴税といった形でいったん収奪するという形をとることもあります)。これは食料生産地共同体、村落社会ということができるでしょう。

農業等の食料生産の生産性が高まり、食料生産地が自給する以外の人間の分の食料も生産できるようになると、そこから交易や収奪(貢納・徴税)などによって食料を入手する、農漁村から地理的に独立した都市が成り立つようになります。ただし、地理的に独立とはいっても、都市住民の生物としての本源的な自らへの責任としての摂食は、農漁村等の採食行動からの分配によって満たされることになります。この意味で都市は食料生産地に従属しています。食料を生産する農漁村を都市の後背地ということがあります。このような食料の生産と移動、分配のシステムをより広域の「社会」と呼ぶことができます。

こうした食料の移動と分配は、やがて複数の村落間や都市間でも行われるようになります。こうなると食料生産地の住民の摂食もまたほかの食料生産地からの分配を受けて満たされることになります。これが全国的に、そして国際的に全地球的に広がった状態が現代社会といえます。

ここまで、生物個体の代謝本源的な自らへの責任としての摂食分配によって採食者以外の摂食を満たす「社会」、と見ることで、ひとたび経済の骨格の素描は終わりました。骨格はほぼ全体像といっても過言ではないのですが、しかし現代の経済は複雑な外見に覆われています。複雑な部分は主に上記の「分配」の部分にかかっており、経済学とは分配についての学問であるともいわれます。次の記事からは章を改めて現代の経済の諸要素を検討していくことにします。

に続きます。

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