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 古代ポリネシア人がかつて海と対峙する中で育まれたサーフィンという行為は、大航海時代の最中、イギリスの探検家ジェームス・クックによって「発見」された。この民族の生の様式と密接に関係した行為が遊戯・スポーツとして人口に膾炙するようになるのは、二〇世紀初頭のハワイでのムーブメントを待たなくてはならない。カハナモク家の長男、デューク・カハナモクによって世界中に紹介されることになったスポーツとしてのサーフィンは、その後急速に発展することなった。世界中の海で様々なスタイルが育まれ、技術や道具は進化し、偉大なレジェンドや伝説的なライドが誕生し、人々の記憶するところとなっていった。

 私たちの住むこの列島にサーフィンという波風を届けたのは、第二次世界大戦後、湘南地域に遊んだアメリカ人たちであったという。その様を見た地元の青年たちはこぞってサーフィンを模倣し、その波と風が、かつてカハナモクがそうであったように瞬く間に列島の隅々まで行き渡った。この列島でもまた、様々なスタイルが生まれ、ローカルの発展があり、サーファーの歩みが砂浜に足跡を残したのだ。

 それでは私たちの街、茨城県大洗町においてこの波風はどのように伝えられ、誰が担い育んできたのだろうか。今や関東地域の一大サーフスポットとなったこの街の渚には、意外なことにその歴史を知るものは多くない。そのことを記録し、広く知らしめ、後に伝えること。それが本リサーチの目的である。私たちの街に吹く風がどこから来たのか、そしてこの波がどこへ行くのか。それを考える一助になれば幸いである。

メインリサーチャー

栗原敬太/高橋良太/飯島晃彦

*世界的なサーフィンの発展と日本への導入に関する知見は日本サーフィン連盟HPより引用

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