見出し画像

Legend1:坂本清克さん(1)

(2020.7.6一部訂正)

イエローサンズ代表:坂本清克さん

 サーフショップ「イエローサンズ」は、全長一.五キロの海岸線をもつ大洗サンビーチの最南端にある。あまり観光客が立ち寄らないが、サーフスポットとしてはよいエリアだ。「海の子ポイント」といえば、茨城をホームにするサーファーにはなんとなく場所がわかるかもしれない。

 取材に伺った際には、お店の改修工事が行われていた。「こっちに移転して一七年たった。ちょうど今が建て替えのタイミング」と代表の坂本清克さんは言う。三月初旬にしては暖かい日が続いていた。ショップからは春の兆しをみせる鈍色の海とサーファーの姿がよく見える。建て替えのため、がらんとしたお店の中で話を伺うことになった。

画像1

始めた頃

サーフショップイエローサンズ代表 坂本清克さん(以下、敬称略):(大洗最初のサーファーは)記録としては残してない。俺なんかまだ(年数が)浅い方だけど、もっと先輩方が始められてきたこと。地元の人ではないかもしれないね。

––––坂本さんが始めたきっかけは。

坂本:叔父さんがやってたから。サーフィンしてて、一緒にくっついてったりなんかして。で、ボード借りて始めたのが最初。

––––何歳くらいの頃ですか

坂本:小学校高学年ぐらいかな、最初にボードを預けられたのは。ちゃんとやったのは中学二年くらいかな。四〇年前。

––––始めたのは大貫(大洗の地名。坂本さんのお店がある)で?

坂本:大貫で。小学校の頃は、役場の下で流れ着いてきたような、拾った背丈もないくらいの板で。立てないけど、ボディボードみたいな感じで。

––––始めた頃は、もうすでにサーフィン始めた人がいたんですか?

坂本:今のめんたいパークのとこ台風くると東築港(チッコー、注1)って役場の下のあたりなんか、あそこで入ってる人いたね。釣りも好きだったから東築港で釣りなんかして。(当時の地図を見ながら)これが東築港で、見えないんだけどここが西築港。いつも海水浴したり遊んだりしてて。ここ(西築港)でサーフィンしてる人を釣りやりながら見たりしてた。

画像2

––––坂本さんがサーフィンやるときは、大洗の北側のエリアだったんですか。

坂本:そう、海水浴場だったから。そこでやってましたね。

––––そのころは、波は今より高かったんですか?

坂本:波は荒かった。沖堤もなかったから、ダイレクトに台風とか来ちゃう。今の役場のとこまで波が来ちゃう。あそこすぐ砂浜だったからね。

記憶では(当時サーフィンをしている人は)少なかった。大洗でやってたのは漁師さん。漁が終わってから入ったり。それも叔父さんの仲間。一個上の先輩だったり。今六〇代とかになる人たちが、やってた。

––––(その方々は)今も現役でやってるんですか?

坂本:やってる。透析始まっちゃたけど笑 酒飲みだもんね笑

坂本:(大洗南部の地図を見ながら)多分これがテトラだと思う。この辺(現在のお店周り)は当時サーフポイントじゃなかったんだよね。テトラ入っちゃってて。今はもう砂に埋まっちゃってるけど。すごい、よじ登んないと行けないような。夏の潮引いたときは、よじ登って行けたんだけど結構危ない。いつも集まったのは「ハマザク」(民宿)の下の広い駐車場。トイレもあって。

画像3

––––今とその頃とどっちがやりやすかったんですか。

坂本:昔のほうが波が良かったような気がするんだ。人もいないから。今は人混みの中でやってる感じ。まあ(港湾の)開発をしながら、(波が)一瞬良くなったりっていう時もあったり。

––––さすがに学校行かずにやることはなかったんですか。

坂本:いや行かない笑 高校のときはほとんど単位だけ気にして。教室にまで板持っていってたから。

––––そういう人って何人かいたんですか。

坂本:何人もいた。平磯とか阿字ヶ浦の同級生がいっぱいいてやってましたね。同級生は、自分が始めるとき誘って。中三のときに阿字ヶ浦で、(自分が)がっつり(別のサーファーに)轢かれたんですよ、シングルフィンで。一二針くらい縫って、ネットして中学校行って。それ見てみんなやめて。

––––みんな引いちゃって笑

坂本:同級生だから連れてけるけどね。ケガしちゃったら責任かかってきちゃうからね。

––––肌感覚なんですけど、今の二〇代や三〇代より、五〇代の人のほうがサーフショップに来ている人が多いなって気がするんです。流行った時期があるんですかね? その世代は。

坂本:そうですね。二回ぐらいは流行ったときがあった。

––––坂本さんが始めたのは一回目の流行の時ぐらいですか。

坂本:俺は多分その後じゃないかな。今六〇代になる人に聞くと、その(人が若い)頃に流行って。サーフショップはこの辺になかったから、渋谷のマルイとかでサーフボード買ってきて。たまに町中を歩ってると、外に野ざらしのボードがあったりして、(持ち主に)聞くとそんなこと言う。東京で買って来たんだよって。

––––そういう人たちもいたんですね。

坂本:いました。俺もやってたぞーなんて人は結構町中にもいた。

––––坂本さんが始めたときって若い人が中心ですよね。

坂本:大洗でやってた先輩は、結構ヤンチャだったんで、漁師以外は結構暴走族みたいになってたり。二〇歳過ぎくらいまではそういう遊びしてたんじゃないかな。自分はその後だと思う。

––––若い頃やってたときはそこまで上の人はいなかったんですか。

坂本:うん、三〇代でも結構上だと思うだけど。三〇歳超えてたなって人も何人かはいましたね。

(注1)築港(=チッコー)は、明治四二年に着工した「旧磯浜港」の残置された堤体のこと。完成を間近にした同港は、大正六年に潮流の変動などに起因して港内に漂砂が堆積し埋没した。その後、大洗港が整備されるまで長きに渡り大洗の渚に良好な海水浴場を提供した。大洗に長く住む人々の風景に必ず登場する記憶。

続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?