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Legend1:坂本清克さん(2)

前回からの続き)

最初のサーフショップ

––––その頃サーフィンで覚えてることはありますか。怖かったとか。

坂本:ボードもチョウロク(=マトモ)じゃないけど、リーシュコードってあったんだろうけど、ウチら買えなかったし。サーフショップがまず大洗になかった。始めた頃はイシゲさんが、今の那珂湊(ひたちなか市の地名。大洗と橋で隣接する港町)でテナントを借りてサーフショップ始めたんだよね。ワックスとか買いに行くのはそこで。で、大洗で初めてサーフチームみたいなのができて。その仲間たちはイシゲさんとこでシェイプしてた。ボード買ったり。

––––じゃあ大洗の最初のサーフショップは?

坂本:大洗で最初はオノセさんとこ(注1)。(シェイプをする)工場は大貫に(あった)。もう少し古い人たちに聞くと(詳しく)わかる。(そこでは)原型から作ってたから。発泡させて大貫で作ってたらしい。ちっちゃい小屋みたいなところで。free and easyなんていう名前だったかも。

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––––坂本さんのお店が大洗で二番目のサーフショップなんですか。

坂本:そう。オノセさんとこが最初で、二番目。でも(自分がお店を)始めた頃は(他の)サーフショップは波あると閉めちゃってたから笑

––––自分がいっちゃう笑

坂本:まあそういうスタイルでしたよね、最初は笑 (自分の)サーフィンがメインの商売。

––––ところで今の坂本さんのお店って、最近は初心者ってどうやって来るんですか。ネットで調べて、ポンって来るんですか。それとも知り合いの紹介?

坂本:ネット派の人が多いかも知んないですね。

––––俺も最初はネットで調べて(坂本さんのお店に)来ました。ネット以前って、やっぱり知り合いから紹介してもらうしか、サーフショップに行くきっかけはなかったんですか。

坂本:入りづらいでしょうね。うん。知り合い伝いのお客さんしかいなかったですね。よく言われますね、入りづらいって笑 お店の中入ると、地元の人がいるから。勇気振り絞って入っちゃえば、そこで仲間になってもっとやりやすい環境になって来るんだろうけど。それがなんかサーフショップって感じ。

––––サーファーは職業色々なんですよね。

坂本:色々。自分始めたころも色々。漁師さんもいたり、会社勤めの人もいたり。まあよくサボってやってましたね笑

大洗のサーフチーム

––––大洗の初めてのサーフチームっていうのは?

坂本:アーネストっつって、俺が知る限りでは多分初めてなんじゃないかな。俺が高校生ぐらいのとき。

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––––(坂本さんが見せてくれた町報の記事を見ながら)昭和五八年。

坂本:会長も漁師。大洗水族館の下と、つるかめ下にも看板とスチールのゴミ箱置いて。鉄工屋さんじゃないけど、(そういうことができる人が)チームにいて。

––––ビーチクリーンをすでにやってたんですね。

坂本:そうビーチクリーンを夏季は毎週一回。今(大洗で)やってるビーチクリーンとずっと繋がっている。チームは無くなっても誰かが引き継いでやってる。俺も夏の大きなときには行くけど。チームもこの後何個もできてるかな。

––––チームができたってことは、ショップもできたんですか。

坂本:ショップはない。ショップは知ってる限り、(この辺りで)最初はイシゲさんと、勝田(ひたちなか市の地名)。

––––(写真を見ながら)この当時のアーネストの会長さんですか。

坂本:漁師で船お兄さんと一緒に乗ってるかな。

––––今でもお付き合いはあるんですか。

坂本:今もたまに会って。今でもよく(サーフィンの)大会見に来てる。波あるとサーフィン見たりもして。やってはいないんですけど。

––––一度お話聞きたいですね。

坂本:いいですね。会長のときは熱心だったから。怖かったけど笑 遊びでたんじゃない、どうせやんなら上手くなんなきゃしゃあめ(=しょうがない)って。チャラチャラしてる人はよく怒られてました笑

続く

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