1-結婚しろ

「お前ら付き合っちまえよ」

これフェミ以降ヒートアップし続けているオタクVSフェミ騒動。

私の考えはこの記事にまとめた通り。

先日、こういう記事を見かけた。

記事主は「交通整理」と書いているが、オタク側に偏った交通整理の仕方だ。そこで、今回の記事では、この「交通整理」記事の問題点について指摘してみる。

ここから先は、上記の二つの記事を読んだ上でご覧頂きたい。

過去の経験を重視するフェミニスト達は、過去の経験で嫌な思いをさせられたとか嫌な思いをさせられた人の話を、極端に過剰に重く見てしまう
「公の場に出すな」と言う話が出てくるのは、要は、その様な経験を思い出す・もしくは恐怖に近い感情を引き出されるから
「オタク」「キモオタ」が辛いと思うことの中身は、基本的人権の侵害そのものである。

この人は、オタク側はフェミ側の人権を侵害する様な行為をした事は無いが、フェミ側はオタク側の人権(表現の自由)を侵害しているという言い分らしい。実に表現の自由絶対主義者(表現の自由は他の全ての人権に勝るという思想を持つ人)らしい言い分だ。

だが、「嫌な思いをしないために、公共の場に嫌な思いや恐怖を思い出させる物が存在していたら撤去させる権利」も実は"基本的人権"である(表現の自由と同等である)とする解釈も人権に関する学問の中では存在している。

オタク側はフェミ側の人権を侵害する様な行為をした事は無い、というのは、オタク側が自分達の行動を都合良く言い訳しているだけで、「フェミとオタクは、お互いに相手から同等に人権侵害されている」というのが実情だ。

お互いが同等に人権侵害されているのに、どちらも「自分達は相手の人権を侵害していない」と主張するからオタクVSフェミ問題は終わらない

ここ最近のフェミニズムやリベラル左派と「オタク」の論争を見ていても、オタクに対して「そんな物大したこと無いし、社会から排除して構わないだろう」と言う事をオブラートにくるんだかのような物言いがはびこってる

フェミ側の言う「そんな物大したこと無い」は、「(自分達は、この作品が存在する事で人権侵害されているのだから、その人権侵害を無くすためには)大した事ないだろう」であるのが実際の所だ。
対してオタク側は「(撤去される事で自分達に発生する人権侵害に比べたら撤去しない事は)大した事は無い」
お互い「自分達の人権が侵害される事に比べれば相手を我慢させる事は大した事ではない」で主張が平行線になっている。
こういう場合、一般的にはお互いに同等に我慢するという妥協線・落とし処を見出す方法を模索するものなのだろうが、オタクとフェミの間には1か0しか存在しない。そりゃあ、争いが終わらないのも仕方ないのだろう。

2009年から2010年にかけて、フェミニズムと警察と右派のカルトや保守政治家達が「総仕上げ」とばかりに、(出版社が多いので影響が全国に及ぶ)東京都の青少年健全育成条例を、多少なりとも性的な「感じ」のある表現全てを取り締まるようにしようとした

この人、歴史まで捏造しているんだなとなった。

東京都の青少年健全育成条例についてはフェミや警察が関与した事例ではなく、オタクの中で「最近の表現は行き過ぎてる」系の人が現れた事からの内ゲバ的な物が発端となった色が強い。

当時、フェミは影も形もなかったし、都条例に関して言えば、Twitter上では「規制反対派のオタクVS規制賛成派のオタク」という、オタク同士の争いが勃発していた。

規制賛成派のオタクがフェミになったとでもこの記事の人は思っているのだろうか?

フェミ側もフェミ側だが、オタク側もオタク側、結局

に行き着くのかなと思った。

傍から見ていると出て来る言葉は一つ「お前ら付き合っちまえよw」だ。

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