「宇崎ちゃんは遊びたい!」問題が露骨にあぶりだした、フェミニズムと「キモオタ」の間の噛み合わなさについて、少し交通整理してみる。

 やっと、寒くなってまいりました。本当に月日の流れるのは速いものですね。しかも、私、最近、Simutransと言うジオラマの中を鉄道を走らせるゲーム…A列車で行こうシリーズに非常に近い…を見つけてしまい、ハマってしまってるので、身体ボロボロになってます。「麻薬」かもしれません…。

https://simutrans.com/

http://japanese.simutrans.com/

「宇崎ちゃんは遊びたい!」問題から更に転がっていく諸々の議論。

 さて、「宇崎ちゃんは遊びたい!」の問題は、更に混迷を深めつつあるようで、先週の土曜日(11月16日)に、この件から起こった色々な議論から、青識亜論氏と(フェミニストの)石川優実氏の間で公開討論会があったり、昨日(22日)アベマTVで討論会があったようなのですが(今の時点では詳細を見きれてない)、前者の16日の討論会の方では、今ひとつ収まりの悪い終わり方に討論会が終わり・その後、石川優実氏が言葉を翻すかのようにして被害者であるかのように、主に「内輪」に対してブログやツイッターで言ったものだから、その後、特にツイッターが大荒れになってる訳です。

https://togetter.com/li/1432126

https://togetter.com/li/1433260

 私は「予想通りにおわったな」としか思えないんですけどね。れいの「#KuToo」のときにも色々な批判が石川氏には浴びせられてて、その時に逆ギレして自分は攻撃されてるだ虐められてるだ言い出した挙句に、周りの人達がそうだそうだと大合唱して、主張の問題点を真剣に考えるのではなく、自分達を100%認めろ。認めないお前らはクズだ。って話に転がっていってましたから。

アベプラでの討論会での「噛み合わなさ」は、昔と全く変わらない気がする。

 そして、アベマTVの方では、フェミニズム側が今までの主張を繰り返して、結局は平行線になったようなんですが、そこで福島瑞穂議員が、「胸」に対する性的な視線に女性が悩まされてきた。と言う話や「公共の場で出すのはいかがなものか」と言う話を繰り返してたようで(繰り返しになりますが、これを書いてる時点では詳細に討論会を見れていません)、いくつか引っかかると言うか、いい加減色々と交通整理したほうがいいかな。と思うので、交通整理よろしく、書いてみようと思います。

https://togetter.com/li/1433701

https://togetter.com/li/1433702

「性的な視線」のありようが急激に進化し、男女問わないようになってるいい時代。

 既に幾らかの人達から指摘がされてますが、性的な視線と言う物が、もっぱら女性に対してだけ向けられてるということにされていた時代というのが、00年代半ばまで続いてきてて、その上、胸だけが性的に見られてるという状況が続いてた訳ですよ。大体、70年代末から10年代の頭かその少し前くらいまで。
 今は、アダルトビデオやグラビア(絵とかではなく実写の方ですね)などでもあんまし煽り文句として連発されなくなってますけど、「巨乳」であることだけが、とても性的価値があるかのような物言いというのが、まぁ、私の記憶では80年代末から2010年前後まで続いてきてたのは事実ではあるんですよ。そして、今は(と言うか00年代辺りから)、他の場所に対しての性的価値というものが、社会で認められるようになったと同時に、男性に対しての女性からの性的価値と言う物も、おおっぴらとまではいかないまでも、ある程度表向きに、社会が認め始めるようになったと思えるんですよ。

 そして、「宇崎ちゃんは遊びたい!」を切っ掛けに色んなゴタゴタが噴き出してる今・2019年に至っては、男性も女性も、そのパーツの何処であっても、性的価値があるんだ。と言う事が、ある程度社会的に認められつつあるとは思うし、それは逆に言うなら、身体の何処かを強調しても、そのことだけで特別な性的意味合いを持たなくなりつつある。もう少し、「特定の個人」と言う物に対する「個人」の感性や感情で性的かどうかが決まる。と言うのが社会的に受け入れられつつあると言う事になるのですが、しかし、現在の状況よりも過去の経験を中心に考える人がフェミニズムやその周辺には多いようで、そこで、最初の部分の行き違いが起こってるように、気がついたという訳です。

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