青識_1

「対話」と言う名の「暴力」~オタクは"弱者"なのか?~

「これフェミ」記事の続き

先日書いた

の記事の続きとなる話。

その後も、オタク側とフェミ側の言い争いで、Twitterの #これフェミ のタグは結構騒がしい事になっている。

そんな中、青識亜論さんは、2019年11月22日(金)のAbemaNewsに出演する事をTwitterで告知した。

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フェミニスト側から誰が出演するのかは、まだ(この記事を書いている2019年11月21日18時半現在)不明だが、この出演は明らかにフェミニスト側を煽るための出演だろう。

青識亜論さんは根っからの煽り体質なのだなと思った(個人の感想です)。

青識亜論さん「対話は続けたい」

「これフェミ」の結果を受けて、オタク側には「フェミとは対話不可能である」「フェミとは対話する必要は無い」と主張する人が増えて来ている。

そんな中、青識亜論さんは「それでも対話を続けていくべき」との主張を述べている。

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だが、この青識亜論さんの言う「対話と寛容」という言葉は、フェミ側からはどう見えているのだろうか、「対話」も「寛容」それが自分から見て「対話」や「寛容」であっても、相手から見て「対話」であり「寛容」で無ければ意味が無いのではないだろうか?

オタク側の考える「対話」

AbemaNewsへの青識さんの出演に関して意見を述べているオタクと思しき人にオタク側は「対話」をどういう物だと考えているのかを問うてみた。

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この人は、オタクとフェミの間で妥協点を見出す事は出来ると考えているのだろう。だが、妥協というのは「両方が同等に我慢する」事でしか成立しない物である。

私は、「オタク」と「フェミ」の間に妥協を成立させる事は不可能であると考えている。

「対話」と言う名の暴力。

青識亜論さんは「対話と寛容」を続ける事が大事と言うが、フェミ側の大半にとっては、オタク(青識亜論)側は対話すべき相手では既になくなっているだろう。
何故なら、フェミ側が社会を変えるために訴えかけるべきは政治家等であり、オタクを一人一人対話で説得するのはゲリラ戦でしかない。

オタクを一人説得する時間や労力を政治や世論に訴えかける時間として使った方がコストが良い。

フェミ側からは既に「対話」すべき相手と思われていないのに、オタク側は「俺達と対話しろ」と言っている事になる。「対話」を望む事自体が「自分(オタク)達の言い分を聞け、お前(フェミ)達の言い分は聞かないけどな」という暴力になってしまっている。

※注:フェミ側の中にもオタクと対話すべきという論を掲げている人は極稀に存在するが、このフェミ側の言う「対話」も「自分(フェミ)達の言い分を聞け、お前(オタク)達の言い分は聞かないけどな」である事は忘れてはいけない。

オタクは弱者なのか?

かつて、オタクという存在は迫害されていた。
迫害されていた頃のオタクは、間違いなく「弱者」だっただろう。
だが、現在はどうだろうか?
オタクは、かつてほど迫害されていない。街中にもアニメ絵のポスター等が普通に溢れる様な時代になった。

それでも、未だに「オタクは弱者だ」と言う人達がいる。
そういう人がいる事は仕方ないかも知れないが、私は少なくとも「オタクは弱者だ」とは思わない

2019年現在、「オタクは強者」なのだが、自分達を弱者と称し「弱者の自由」を主張するオタクには「被害者ビジネス」に近い物があるのではないだろうか。

「オタク迫害」が植え付けた不信感

オタクが弱者と言えない状態になっている2019年現在、それでも「オタクは弱者だ」と主張するオタクが存在するのには、仕方の無い理由が存在する。

1980年代頃より始まったオタク迫害の歴史や表現弾圧の歴史、それらがオタクに、政治への不信感、オタクと対立する存在への不信感を遺伝子レベルで植え付けてしまっているからだ。

「政治や民衆(≒フェミ)は、喩えオタクが強者になろうと迫害して来る、だから信用してはならない」という不信感がオタク側の中には常にある。

強者×不信感+対話×寛容=暴力×強制

「強者となったオタク」が「自分達の好む作品に攻撃して来る者・自分達を迫害しようとする者に不信感を持ちつつ」、「対話」と「寛容」を相手側に強いようとするのであれば、それは、「対話と言う名の暴力」であり「寛容という名の強制」でしかない。

ただ、こうした「対話と言う名の暴力」や「寛容と言う名の強制」は、かつて、オタクが弱者だった頃にオタクを迫害した強者達がオタクに対してやってきた事であるというのもまた事実である。

迫害されていた頃のオタクから見れば、迫害していた側の言う「対話」は間違いなく「暴力」だっただろう。

その意味では、今、オタクがフェミに対してしている事は「かつて自分達が弱者だった頃にされていた事を、自分達が強者になったので、同じ事をやり返している」でしかない。

だが「自分達がされた事を、自分達が強者になったら相手にやり返す」という事がどんな結果を生み出すのだろうか?

「やられてもやり返さずにいろなんて納得できない」と感じるオタクが少なくないのも解る不毛だ

第三者を味方に付ける

それでもオタクがフェミと対話を続けようとする事について、オタク側の中には「フェミを説得するのではなく、第三者を味方につけるのが重要だ(そのために対話してますアピールが必要)」という主張をする人がいる。

第三者から見た時、オタクがフェミに暴力を振るっている様に見えない形で、フェミに暴力を振るいたい。そういう気持ちがオタクとフェミ問題に於いて、オタクが言う「対話」の真意だろう。

しかし、それで第三者を味方に付ける事が本当に出来ると思っているのだろうか?

私の様にオタクの中にでさえ、最近のオタクとフェミの争いに於ける「対話と寛容」は「対話と言う名の暴力」と「寛容という名の強制」であると指摘する人が出てきている。

第三者がオタク側の味方をしようとオタク側についてより深く調べれば、オタクが言う所の「対話」が「対話という名の暴力」である事は簡単に見抜かれてしまうだろう。

そうなると、第三者から転じてオタクの味方になる人達の中心層になるのは「煽動に弱い(自分達で深く調べる能力の無い)第三者」という事になる。

本心から「対話」を望んでいるなら

「これフェミ」の感想を書いている記事の中に、こういう物(削除済み)がある。

記事の作成者は、この記事でも紹介しているアーティさんという方。

アーティさんの言う

「理解しろ、理解できないお前が悪い」では人を説得することはできない。例えその主張が正しかったとしても、だ。

というツイートに関しては、部分的には正しく、部分的には間違っている(他人に敬意を払えない人相手では無意味)と私は考えているが、オタク側が自分達がやりたい「対話」は「暴力」ではなく本心からの対話だと言うのであれば、対話の前に対話したい相手の信用・信頼を得るのが手順だろうという点は同感だ。

青識亜論さんのフットワークの軽さは確かに強い、だが、それがオタクの総意ではなく青識亜論さんの独断で行われているという点で、マイナスでもある。青識亜論さん一人の行動が、「オタク全体が暴力と強制を望んでいる」という評価に繋がる可能性がある(現時点ではその色合いが強くなりつつある)からだ。

フェミからの信用・信頼を得るには?

フェミからの信用・信頼を得るにはどうすれば良いか。
そりゃ勿論「フェミ側の要望を受け入れる」しかない。

※注:これはフェミ側にも言える事で、フェミ側がオタク側の信用・信頼を得るには「オタク側の要望を受け入れる」しかない。問題は、要望を受け入れるを、オタク側が先に出来るか、フェミ側が先に出来るかだろう。

「信用・信頼」が生じる事は無い

オタクは迫害されていた歴史の中で政治や民衆に対する不信感をDNAレベルで植え付けられている。

その不信感は「一つの表現の規制を受け入れれば、政治や民衆の要求はどんどん強くなり、一つの表現の規制だけでは留まらなくなる」というものになっている。

これは、フェミ側もそうで「一つの表現を容認すれば、オタクの要求はどんどん強くなり、一つの表現の容認だけでは留まらなくなる」と見ているだろう。

そういう状況下で「互いに相手からの信用・信頼を得るには相手の要望を受け入れるしかない」、不可能だろう。

オタクはフェミを信用も信頼もしないし、フェミはオタクを信用も信頼もしない。そして、互いに「向こうが先に信用・信頼できる行動をしたら信用・信頼する」という態度を崩せない。そりゃあ、互いに「信用・信頼」が生じる事は無いだろう。

オタク・フェミ問題の注目点~表現規制賛成派のオタク~

オタクとフェミの間で「信用・信頼」が生じる事は無い。
オタクとフェミの間で「妥協」が成立する事は無い。

というのを前提とした上で、オタク・フェミ問題に関して私は注目している点がある。

それは、「オタクは表現規制に反対しなければならない」という声がオタクの主流になっている中、「オタクは皆、表現規制に反対しなければならないのか?オタクだからこそ表現規制を受け入れる必要があるケースもあるのではないか?」という声を上げているオタクが存在している事だ。

勿論、そういった声は主流派ではないし声が小さいので、今の所、広くは伝わって行かないだろう。

だが、こういう声を上げられる人こそが、オタクとフェミの間に生じている溝を埋め、本当の意味での対話を行える環境を作っていけるのではないだろうか?

私は、「表現規制賛成派のオタク」という存在こそがオタク・フェミ問題の鍵になる存在だと思っている。

以上が、「これフェミ」後の騒動に対する私の感想です。

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