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保育園。

自宅から駅までの道に、わりと大きな保育園がある。

朝、私が駅へと坂道を下っていくと、子供を連れたお母さん、お父さん、そしておじいさんが駅からの坂道を上がってくる。

歩きだったり、ベビーカーだったり、電動自転車に乗せて。子供を抱っこしながら坂道を歩く親もいる。そして、元気のいい子もむずがっている子も、一様に園の中にすいこまれて行く。

夕方、私が駅からの坂道を上がってくると、今度は反対に坂を降りてくるお母さん、お父さん、そして子供たちと出くわす。

賑やかにおしゃべりする子供たちと反対に、母親たちの疲れ切った表情。今日1日の仕事を終え、上手くいかなかったことも嫌なこともあっただろう。

そして、帰宅したら即、夕食を作り、子供にご飯を食べさせ、風呂に入れ、歯磨きして、寝かす仕事が待っている。どれも、すんなりとはいかない。

まだまだ、親の仕事は終わらないのだ。

すれ違うたびに、胸が痛い。
「ちょっと、私の家で休んでいかない?」と声をかけたくなる。
「大変でしょう。なんでも、愚痴を聞くよ。」と言いたくなる。

このあと、疲れ切って、言うことを聞かない子供にイライラし、声を荒げてしまうだろうから。

そ。
私がそうだったから。子供が自分の思うようにいかないからって、あんなに怒ることなかった、、、今なら、そう思う。

でも、自分も仕事と公演と家事と育児とでいっぱいいっぱいだった。
余裕なんて、これっぽちもなかった。

だから、彼女達の仕事帰りのあの表情は、身に染みてよくわかる。
いやでも、当時を思い出してしまう。

早く大きくなってほしい、自分の自由な時間が欲しいといつも思っていた。
今、胸が痛むのは罪悪感だ。

あの二度と来ない大切な子供との時間を本当に丁寧に過ごしたんだろうか、という後悔だ。

また、保育園時代のさまざまなことがよぎる。
仕事を休めないから、微熱があってもそっと置いてきてしまう。

小学校の先生は、保育園から「発熱しましたから、迎えにきてください」の連絡を無視して、個人面談をしたそうだ。

看護師の人は、寝ている子供にお弁当を置いて仕事場に出るそうだ。
幼子をひとり家に残し、病院でよその子の面倒をみる…

私は、どうにもならない時は、友達を頼った。
いろんな出来事があり、毎日が綱渡りだったけれど、その中でも2つ。
懺悔とともに、ここに書き留めておこうと思う。

夜に演技指導を頼まれて出かけるのが、週に1回あった。
連れ合いの帰宅は、連日夜中なので戦力にはならない。

子供二人の夕食を作れなかった時、まず親でないと園から引き取れないので、小学校2年生の姉を連れて保育園に行き、お弁当を買いなさいとお金を渡して、2人を見送り、私は駅に向かう。

手をつないだ二人の小さな背中を見ながら、悲しくてたまらなかった。

もうひとつは、NHKの大河ドラマの時、帰りの時間が分からなかったので、弟はあらかじめ友人に頼み、寝ている子を起こして連れて帰宅すると、姉のほうが高熱を出していた。

今でも、胸が締め付けられる、涙があふれる。
私は何をやっているのだろう、と。

しかし、この話は、ふたりともまるっきり覚えていないそうだ。

反対に、親がいないことをいいことに、やりたい放題で楽しかったという。
そういえば、一度ふたりして服を着たまま、お風呂に入って大騒ぎをしていた。

今はどうなんだろう。
私のころと同じ状況ではないといいな。

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