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自分のために“使う”誰かのために“遣う”

心遣い、気遣いっていったいなんなんだろうなあ、と最近すごく考えることが多くて。

色々自分の中で考えていると、ふと、そもそも心(気)を「遣う」の「遣う」ってどういうことなんだろう、と思いました。

そういえば、言葉遣い、仮名遣いにも、「遣う」という言葉を使う(こっちは使う?)。


「使う」と「遣う」の違いで、色々調べていると面白いことに気がついたので、共有したいと思います。


使う

「使」の成り立ち
会意兼形声文字です(人+吏)。「横から見た人の象形」と「官史(役人)の象徴となる旗ざおを手に持つ象形」(「役人」の意味)から「つかう・つかえる人」を意味する「使」という漢字が成り立ちました。
漢字・漢和・語源辞典より

「使」の漢字の成り立ちを調べると、「使」役人が旗を持っている人を表す象形文字。

なので、「使」のもともとの意味は、役人。

昔の役人の役割は、権力者のために働く人のことです。

つまり、権力者が自分のために、人を利用することが「使う」という言葉だたんですね。


遣う

「遣」の成り立ち
「立ち止まる足・十字路の象形」(「行く」の意味)と「両手で束ねた肉を手にする」象形(「肉を保存食として軍隊が遠征につく」の意味)から、「つかわす(行かせる)」を意味する「遣」という漢字が成り立ちました。
漢字・漢和・語源辞典より

一方、遣うは、両手で束ねた肉を持つ人がその肉を届けるために道を行く様子を表した象形文字。

つまり、肉という大切な食料を誰かのために送り届けるという意味があるそう。


つまり・・・

自分のためにつかうのが「使う」

誰かのためにつかうのが「遣う」


そう思えば、心遣い、気遣い、言葉遣いという言葉の意味が少し理解できたような気がしました。


自分のために言葉を“使って”はいないだろうか?

心遣いや気遣いだと思っていたことは「心使い」や「気使い」になっていないだろうか?

改めて、振り返る機会になったのと同時に、「遣える」人でいたいなと思いましたとさ。

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