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ローマ軍の食事とその物流

腹が減っては戦は出来ぬ。

戦国時代の武士は一人頭、1日にお米を5合食べていたと言われています。これはファミマのツナマヨおにぎりなんと7個分!
(現代だと簡単に買えるからあまりすごさわからない。。)

今も昔も日本人はお米に頼りっぱなし。
食は大事ですよね。何かを成し遂げたいときは食は肝要ですよね。

ナポレオンも言っています。
 "An army marches on its stomach"
日本でも同じことわざがあります。”腹が減っては戦は出来ぬ。”
この考えは世界共通。

さて、ローマの食事に参ります。

行進する古代ローマ兵の荷物の90%が食料だったというので驚き。
兵士当たりの摂取カロリーは3000kcal。

現代人でもスナック菓子を食べないでこれだけカロリー摂取しているのは、ジム通いのマッチョマンやスポーツマン。
(26歳の私は頑張って食べたとしても2000kcal)

栄養不足は軍隊の体力とメンタルに大きな影響を与え
軍隊の力を著しく低下させます。
強い軍は、しっかりと食べている軍隊でした。


ローマ軍の食料は大きく2種類の方法で確保されていました。

レーションと現地調達。

①レーション (配給品)
軍隊から配られる食料で、1日当たりの量は兵士の階級やステータスによって決められていました。これらのコストは兵士の給料から天引きされています。
ローマ軍が整備した効率の良い整った供給道路で、規定量のレーションが兵士に配られました。これは軍の士気を保ち、さらに飲みすぎ食べすぎになる事も防ぎました。

レーションの中身とはというと。。

帝国時代のレーションの総重量に対して

75%が穀物
25%が肉、野菜、チーズ、オリーブオイル、ワイン、塩。


穀物(小麦)の炭水化物はカロリー補給に役立ちました。

肉類は地域や季節によって変わり、だいたい豚肉、牛肉、羊肉。

野菜は、大豆、ヒラマメ、枝豆、にんにくが良く食べられていました。

チーズは、牛、羊、ヤギのミルクから精製。軽くて持ち運びに便利でした。

オリーブオイルは、調理油以外にも味付けとして使われています。

ワインは2種類あり、アルコール度数12%ほどの現代のようなワインとサワーワイン(ほぼお酢)栄養補給と水分補給が同時にできる優れものでした。

は、絶対不可欠品であり、食料の保存、味付け、医療にも〇


そして、次は現地調達
レーションで必要最低限の食糧を確保しつつ、現地調達にも頼っていました。現地での調達品には絶対に必要なものから贅沢なものなどまでありました。

方法は大きく3つ。(収集、徴収、略奪)
①foraging 収穫
自然界から食料を集めました。
兵士たちは広大な大地に放たれ特定のアイテムの収集を任されました。
これは兵士たちの日常の仕事の内の1つでした。

目的ごとにチームが編成され一番重要だったのは”aquatores”と呼ばれる水補給班。湖、川、谷、泉から水を皮袋、樽、壺いっぱいに入れて持ち帰ります。

その他には
”lignatores” たき火や暖を取るための焚き木の回収班
”pabulatores” 家畜のエサの回収班

(アクアトレス!リグナトレス!パビュラトレス!)

”frumentatores” は上記のグループより頻繁に行動しませんが、幅広い食料を確保しました。

②requisition 徴収
ローマ軍が進軍の途中で訪れた町や村は徴収の対象でした。
表面上では、交友的に行われたようですが、実は差し押さえや一方的な買収です。
対象の町や村は、指定されたベースに食料を収めました。
村人に報酬が渡された場合もあれば何の支払いもない時もあったようです。運悪く徴収の対象となった村や町は、非常に厳しい生活を強いられました。(理不尽は当たり前の時代ですね)

また、”SUTLER”と呼ばれる商人はローマ軍と共に歩み、香辛料、フィッシュソースなど料理の質をあげる品々をローマ軍に売り込みました。
ぜいたく品の魚、果物、卵はレーションの単調さを改善しました。

③pillaging 略奪
敵陣などの破壊に伴う略奪です。基本的に戦いの後の懲罰として行われる場合や、敵軍を威嚇するために行われました。
ローマ軍は、敵陣から奪った物資や食糧を徹底的に管理支配し、統制の保持に努めました。統制が失われた場合や仲間割れ時は、軍隊がすぐに泥棒集団に変わったと言います。
りんご一つでも盗んだ兵士の命はありませんでした。

食料がそろったところで料理。

レーションは月の初めに配られ、現地調達は必要に応じて行われました。
食事施設に大勢で集まる現代の兵士に対して、戦時中のローマ軍は
("contubernium"と呼ばれる)8人ほどのグループに分かれ1つのテントで料理をしました。

カロリー補給を支えた穀物ですが、だいたいは小麦でした。
小麦は2つの方法で料理されました。
1つ目は水で煮る。「ポリッジ」"プルス"とも呼ばれていました。
  水、塩、チーズ、油を混ぜ味付けをしていました。ぜいたくな日には肉、香辛料、野菜もいれています。海外のセレブが食べてるぐちゃぐちゃのやつです。この料理の準備の簡単さに勝るものはありません。

2つめはパン
 準備が壮大
 ①脱穀
 
まず最初は脱穀ですが前線の兵士に運ぶ前の駐屯地などで脱穀されています。これは物流時の荷物を軽くするためです。パン用の小麦は兵士の手に渡るころには脱穀済みでした。

  ②製粉。
石臼で製粉し小麦粉を作りました。石臼で引けば引くほど白い粉になり小麦粉の質があがります。粗い小麦は黒く、低い階級の兵士によって食べられました。何度も石臼で丁寧に引かれた小麦粉は白いパンとなり、隊長や上官の食事となりました。 

 ➂混ぜる。
 塩、イースト菌、水を混ぜてこねた。

 ④こねて焼く。
1日に食べる小麦を製粉するのに1時間、パンを焼くのに2時間かかったため。効率を考えて一度に数日分のパンを焼いていたといいます。


さて、ほかの食材ですが軍記によれば、肉はあぶり焼きか茹でて食べられており、同時に果物や野菜は串焼きか生で食べられることが多かったようです。

チーズは概ね軍によって製造され、ワインやオリーブオイルは既製品
サワーワインと水を混ぜたもの、"posca" は一般兵に人気の飲み物でした。

商人によって持ち込まれた香辛料などで贅沢なグルメを作る場合もありましたが、軍からは無駄と見なされ、規制の対象でした。例外的に、上官や重要人物は、栄養価も高く、手の込んだ食を楽しんでいました。

そして、作り置き食材
戦時中の兵士は作り置き食材を口にする事も多くありました。これは、軍が迅速な移動をする際などに用いられ、近くの街や村に製造させていました。紀元前207年にクラウディウス・ネロ にカルタゴ軍を破る時にもかなり重宝しました。兵士も作り置き品を準備する場合もあったといい、水分を抜いて長く持つ食べ物、ジャーキー、ビスケットが主流でした。

食べる。

ローマ軍は1日に2食
戦国時代の食事も基本的に午前8時と午後2時の1日2回でした
朝と夜。(朝はPRANDIUM、夜はCENAと呼ばれてるんだとか。)

食事の時間は上官の裁量で決まり、作戦によっても時間が変わりました。
朝食は主に保存食の肉とチーズ
夕食は、説明したような手の込んだもの。
一般兵はグループで集まり、地べたに座ったり立ち食いをしていました。
上官や貴族は、階級にふさわしい椅子にもたれながら食事をした。

最後に浸かっていた食器類。
PATERA; 銅でできた鍋、カップ、容器として使った。
フォークはローマに無かったので素手でつかんで食べました。
ダガーナイフは肉やパンなどを切り。スプーンを使いオートミールやスープを食べた。食器は木製が大かったようです。

ローマのサプライラインは大変重要な役割を果たしていました。あまり表には出ず見逃されがちですが、試行錯誤の上整えられた食料供給システム、準備、そして調理はローマ軍を大きく支えていました。
このサイクルの確立がなければローマ軍がこれだけの功績をあげることもなければ、現代まで語り継がれる事なかったでしょう。

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