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#勇気の芸術 4 『お利口さんはつらいよ』

『芸術』という話になると、
なぜか高貴なモノ
近よりにくいというような
印象を生み出してしまう。

『芸術を見に行った』というようなSNSも
何かを纏う。
纏った自分を人に見せたくなる。

まとうのはイイ
まといすぎるとわからなくなる。
まとうより
つくってみたほうがイイ。

『芸術とは、何なのか。』

という話はけっこう嫌いで、
『芸術なんて何でもないんだ』
なんて話の方が好き。



~#勇気の芸術 3 『ねっこ』のつづき~

料理の話は一例だったけど、絵画などの芸術作品や、音楽やお芝居など舞台でくり広げられる「感動」の中身について開いてみる。

何かを観て感動するときには、何を基準に僕たちは知覚して心を動かしているのか。
これもつくる側、舞台に立つ側の視点から想像すると分かりやすいと思う。

観てくれた人の感動の、
心の動くポイントはどこにあるのでしょうか。


芸術や音楽のノウハウに当たるのが、
「人様の模倣だけ」
「教えられた通りにやった発表会」
というところです。

人様の模倣をして作っただけものや、誰かに教えられた通りに練習して習得した技の発表だけで人の心は動かないのです。


またスキルだけの自慢も、なかなかにいやったらしく映る場合があります。
超一流のスキルの発表会は「すごいな」「たくさん練習したんだろうな」という印象は残るかもしれませんが、一歩まちがえるとマスターベーションのような、自分の癖(へき)の強要になってしまい兼ねません。

僕たちは何かを観る時には、そこにあるスキルや方法を観て心を動かしているではなく、対象の「姿勢」をごく無意識に感じているのです。
そうでないと、芸術や舞台ほどつまらないものはない、ということになってしまう。

だから、芸術の人はスキルの積み重ねではなく、姿勢の積み重ねをするのです。積み重ねてつみかさねて、減らしていく。
つまりは、純度をあげていく

そして「人に感動を与えるのだ」なんて言葉は自分の中にだけおしこんでおいて、誰かに対しては言い放つべきではないのです。
(これの原因は、つくり手側だけの陳腐化ではなく、『目に見えるものにしか手応えを感じれなくなってきたという観る側の問題もあるが、ここでは割愛。)


芸術は観てくれた人の心の何かに触れて何かが動いたときにだけ、結果、人の心が動くだけなのです。つまりは、観てくれる人の素直な知覚と合わさった瞬間に初めて作品としてできあがるのです。
ただ、それだけなのです。


~お利口さんはつらいよ~

僕の幼いころからしても、
この素直な知覚に自信を持つというのは、なかなか忘れ去られてきた事だなと感じます。

旧い時代で育てられた「覚える力」「方法のみを教える」という風習を生み、それがもう、ほとんど、大半で、不毛になってきているのです。
良い子だとか悪い子だとか、普通だとか障害者だとか、お利口さんとか、何をやってもダメな奴だとか、そんな言葉も疑わずにいれた時代です。

これから先は「覚える力」「方法」だけで生きていくのは余りにも辛い。

お利口さんで生きることは、余りにも手ごたえがなさすぎる。

キカイ、テクノロジイが歴史上に類をみない速さで成長し、仕事や人間関係のゲームチェンジがあっちこっちでも起きている中で、がっしゃんがっしゃんとキカイのような人間としての成長を変わらず繰り返して、一体全体何になるのでしょうか。
人間らしい、生命の溢れたみずみずしい美しさを、もっともっとみんなで夢中になって伸ばしていった方が、魅力的な社会が蔓延していくのではないでしょうか。
素敵な社会を目指すことや、未来へ何を残すかを見つめることをあまりにも忘れていた。

そんな時代を僕たちはすごしてきてしまったのです。

そして、そういった人間力、生命力を育む根っことなっているのが「自分で知覚する力」です。自分の目で見て、肌で感じたことを信じる。

他のそれとは何か違うように感じ、動ける人がこれからの大創造時代の大きな価値の中心となるはずです。非常に残念なことでもありますが、この国では「知覚」、「感じる力」から見つめ直さなければならないという事態が日常化してしまっているのかもしれません。



膨大なことを細部まで知っているであるとか、決まりを正しく理解し、そつなくちゃんとやる系の、本質的にマシンのほうが得意な力を鍛えることにはさして意味がない時代に僕らは突入している。これからの時代はむしろ、データ×AIの持つ力を解き放てること、その上でその人なりに何をどのように感じ、判断し、自分の言葉で人に伝えられるかが大切だ。その基礎となるのは、生々しい知的、人的体験、その上で多面的かつ重層的な思索に基づく、その人なりに価値を感じる力、すなわち「知覚」の深さと豊かさだ。ある種の生命力であり、人間力であるといえる。

引用:『シン・ニホン』 著 安宅和人さん
NewsPicksパブリッシング


また、人生の先輩たちが「良い」「悪い」などで他人の知覚を評価し、「若い人を応援している」というその言葉とは裏腹に、ボキャブラリーの乏しさと、無神経で大胆なウカツによって、自ら次に伸びる芽を摘むってしまっているとうことに気づかずにいると、人間力の解放は決して実現しないという問題提起も、ここに無造作に吐き捨てておきたいと思います。

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