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「ソウルメイト」と「少年の君」との共通点について聞かれ、デレク・ツァン監督はこう答えていました。
“人や感情に対する繊細な捉え方”
「ソウルメイト」、「少年の君」ともに映像が美しく、脚本が丁寧でなめらか、音楽も映像にマッチして感情を揺さぶり、特に主演の演技が抜群。
といくらでも、最高級の賛辞を送ることができる作品です。
しかし、どんな褒め言葉を並べても表しきれないなにか。
それが“人や感情に対する繊細な捉え方”という言葉に現れているような気がしました。

どちらの作品も美しく完成されているように見えて、どちらもハッピーエンドとはいえず、はたしてこの結末でこの人たちは良かったのか、悪かったのかという結論を出しません。
人や感情に対する繊細な捉え方。そのためには先入観や思い込みを入れずに、現実を現実のままくりぬいて、そこに置くという作業が必要なのではないかと感じます。
飾らず、善悪の秤にかけず、ジャッジしない。

映画に限らず最近の僕のお気に入りはそういった、白黒はっきりせずに現実をそのまま突きつける作品が多いように思えます。
そういった共通点は感じつつも、その共通する部分に名前をつけられず、どこが好きなのかもわからない。そんな日々が続いていましたが、なにか一つ答えのようななにかがみえたきがします。

漫画では  「姉の友人 ばったん」
初めて読んだばったん作品が「姉の友人」だったので、この作品をあげました。ばったん作品全体に人と感情に対する繊細さが散りばめられており、少し複雑な感情を読者に投げかけます。善悪の秤では捉えられない、名前のない感情感情に触れた時、あなたはどう思うか、感じるか。そんなことを問われる作品です。
括りとしては少女漫画にあたるので、恋愛モノが多いですが、その中でも心情を語りすぎることなく、名前を付けることなく繊細に描いています。

本では 「雨のなまえ 窪美澄著」
こちらも同じく、一冊の本というよりも窪美澄さんの著書に共通して流れているものだと思います。私は雨が結構好きで、特にそれぞれの季節やシチュエーションでなまえが変わるというのが好みの点です。雨のなまえにちなんだ物語が展開するのがこの「雨のなまえ」です。(そのまんま)窪美澄さんが突きつける現実は残酷なものが多く、周囲から批判されている人物が主人公のこともあります。そうした中でも、ジャッジせず繊細に観察を重ねて、そのままの姿を作品へと昇華していく。そうした作品作りができる稀有な作家さんの1人だと思います。


漫画、本と少し重苦しく書きましたが、実際には重い作品ばかりではなく、読みやすい作品も多くあります。ただ、根底に流れている繊細な捉え方がよく似ているのではないかと感じたので、今回1つのテーマの中であげました。

こうした現実を現実として描くというのは、本来的にはハードボイルドの手法だと思います。ハードボイルドは本来、感情さえ入れず無口にただ行動のみで語るというものでした。私が上にあげた作品たちは現実の暴力性、残虐性さえも丁寧に・繊細に捉え、そのままの現実を作品におさめるというもの。
ある種、現代版のハードボイルドと呼べるのかもしれません。


ハードボイルドで思うのが、イーストウッドです。
イーストウッドは派手なガンアクションのイメージがあるかもしれませんが・・・
最近のイメージだと少し違うのかもしれませんね。
デ・ニーロを優しいおじさんと思っている人も最近ではいるみたいなので、昔のままのイメージではもう語れないのかもしれません。
そういえば、なかなか映画館で「ヒート」を観る夢がかないません。
午前10時の映画祭、今年こそはと期待していましたが、やりませんでした。残念。
皆さん好きなデ・ニーロ作品はありますか?
「ヒート」「タクシードライバー」「レイジング・ブル」「ゴッドファーザー2」あたりでトップ争いになるんでしょうか。


閑話休題
イーストウッドもジャッジしない人です。特にキリスト教の意識が強いのか、人を裁くときは人としてではなく、十字架を背負って神、もしくは代行者として行っています。
有名どころだと、「ダーティハリー」では十字架のシーンが特徴的に出てくるので、わかりやすいかと思います。人が人を裁くということへの悩み・迷いが見えるのがイーストウッド作品の特色だと思います。最初に観た時には、イーストウッドらしくないと思った、「マディソン郡の橋」でもそうした迷いが見えて、よくよく考えてみると、やっぱりイーストウッドなんだなと思います。
そうした迷いが色濃く見えたのが、「ミリオンダラー・ベイビー」ではなかったでしょうか。
迷いながらも行動し、終わった後も正しかったのかさえわからない。

批判だらけの世界でジャッジしない難しさ。

ペラッペラの正義の押しつけ合いの中に見えてきた光明。

「何事にも執着せず、物事をあるがままに見ること。蓄積した汚れを全部書き落とし、裸の状態で実相を明らかにする。先入観という重荷を捨て、この先出会うあらゆる人と出来事に心を“開く”こと。周囲で起こっていることをおだやかに見る。ただ純粋に見ることで、一部ではなく全体が見えてくる。」
※「友よ、水になれ~父ブルース・リーの哲学~ シャノン・リー著 棚橋志行訳」より


※参考文献 

「少年の君」映画パンフレット

「友よ、水になれ~父ブルース・リーの哲学~ シャノン・リー著 棚橋志行訳」

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