ジュール・ベルヌ著 森田思軒訳『十五少年』を読む
1.ごあいさつ
はじめまして。ご訪問ありがとうございます。
今年1月noteデビューをし、鉄道趣味関係の投稿をしています。
こちらでは、鉄道以外、自分で書きとめてみたいことなどを投稿してみようと思っています。どうかよろしくお願いします。
2.正仮名・正漢字との出会い
学生時代ちょうど刊行され始めた、旺文社文庫の内田百閒『阿房列車』を読み、正仮名・正漢字の文章のよさに目覚めました。
とはいえ、戦後教育を受けた悲しさ、正漢字は、なんとか読めても、とても書くまでには至りません。
内田百閒は最後まで正仮名で文章を発表し、生前は自分の作品を現代仮名づかいに改竄するのを許しませんでした。
漱石にしろ、鷗外にしろ、やはり正仮名・正漢字、少なくとも正仮名で読んだほうが、時代の雰囲気も感じられ、自分としてはしっくりきます。
3.ジュール・ベルヌ著 森田思軒訳『十五少年』
今回ご紹介するのは、今は児童文学の傑作『十五少年漂流記』として知られる、1886(明治29)年発行の森田思軒訳『十五少年』です。
『十五少年』は雑誌「少年世界」に掲載され、同年単行本が発行されています。
1938(昭和13)年10月1日発行の岩波文庫『十五少年』にある、おそらく明治29年版と同じ巻頭例言には、《是篇は仏国ジユウールスヴエルヌの著はす所『二個年間の学校休暇』を、英訳に由りて、重訳したるものなり》とあります。
なにしろ明治時代の翻訳ですから、やたらと難しい漢字(もちろん正漢字)や漢語が多く(ただし、ほとんどにルビあり)、おまけにところどころに変体仮名がありますが、なんとなく意味を推しはかりながら読むことはできます。
4.冒頭
まずは出だしから。ただし、漢字は一部を除き、正漢字を常用漢字にしてあります。
《一千八百六十年三月九日の夜、弥天の黒雲は低く下れて海を圧し、闇々濛々咫尺の外を辨ずべからざる中にありて、断帆怒濤を掠めつゝ東方に飛奔し去る一隻の小船あり》
(ルビのないところはそのまま。「低く」のルビは原文ママ)。
こういった調子です。原文がフランス語とは絶対わかりません。
「黒雲」にはルビがあるのに、「闇々濛々」には、なぜないのでしょうか。おそらく「あんあんもうもう」だと思いますが。
「少年世界」に掲載されているのだから、ルビがついているとはいえ、明治の少年はこういう文体で読み、楽しめたとは感心するしかありません。
5.子供たちの会話
子供たちの会話もスゴい。
《一個「武安、船には異状なきや」。
武安は徐かに身を起して、再び舵輪に手をかけながら「然り、呉敦」と答へて、更らに第三個に向ひて「しかと手をかけよ、杜番、阻喪する勿れ、余等は余等の一身の外に、更らに思はざるべからざる者あるを、忘るべからず」。又た黒人の子を顧みて「莫科、汝は怪我せざりしか」。黒人の子「否な、主公武安」。
渠等の操る所は皆な英国語なりき。唯だ武安と呼べる童子の言ふ所に、著るしく仏国人のなまり有るのみ。》
西洋人の少年の会話とはとても思えず、大人の中国人の会話のようです。
ここでも、「外」には「ほか」とルビがある(「そと」と読まれないためかもしれないが、「ほか」は、戦前は「外」と書くのが一般的だった)のに、「阻喪する勿れ」(そそうするなかれ)にはありません。
今ではひらがなで書くのが普通、というか言葉自体使わない「然り」や、「否な」「更らに」など、送り仮名が違っているのも、とまどいます。
最初にある、「一個」とは「一人」という意味で、ほかにも出てきます。
6.人名
上記のように、人名はすべて漢字で、原名はルビにされています。
武安はブリアン(14歳、フランス人)、呉敦はゴルドン(15歳、アメリカ人)、杜番はドノバン(14歳)、莫科はモコー(唯一の乗組員、13歳の給仕=ボーイ)です。
ほかの登場人物は、虞路(グロース。14歳。杜番のいとこ)、馬克太(バクスター、14歳)、乙部(ウエツプ、13歳)、韋格(ヰルコクス、14歳)、雅涅(ガーネツト、13歳)、左毗(サービス、13歳)、善均(ゼンキンス、10歳)、伊播孫(イバーソン、10歳)、土耳(トール、9歳)、胡太(コスター、9歳)、弱克(ジャック、9歳、武安の弟、フランス人)。
特記した以外はイギリス人で、15人とも、「ニウジランド」(ニュージーランド。当時はイギリス領)の「アウクランド市」(オークランド)にある「チエイアマン学校」(チェアマン学校)の生徒でした。
それにしても、ことさら読みにくい、難しい漢字をあてているのではと勘ぐってしまいます。
とくに韋格や雅涅、左毗など、読める人のほうが少ないのではないでしょうか。
もっとも当時、西洋文化よりも中国文化に慣れ親しんだ人が圧倒的に多かったので、わざと中国風にしているとも考えられます。
7.島へ上陸
ようやく島に漂着する場面です。
《(武安・呉敦)「恐るゝ勿れ、船体は恙無し、且つ陸は目前に在り、暫く少しく待て、余等は徐かに上陸の計をなすべし」 杜番「何が故にこれを待つや」。
韋格と呼べる十三歳なる一童子、之に和して「然り、何故に之を待つや、杜番の言是なり、余等は争で之を待つを須ひむ」。武安「何となれば、浪尚ほ此の如くあらければ、若し強て之を渉らむと欲せば、余輩は恐らく岩礁の上に擲たれて、身を韲くに終るべし」。乙部と呼べる韋格と略ぼ同齢の一童子「とかくする間、船体粉砕し了らば如何」。武安「余はそを恐るゝの謂れ無きを思ふ、少くとも潮の退きつゝある間は、船体の粉砕すべき憂ひ無しと思ふ」。》
ここでも、西洋の少年同士の会話とはとても思えません。
「尚ほ」は「なお」、「若し」は「もし」。これも念のため。
8.おわりに
いかがでしょう。
自分の経験では、最初はなんとか読めても、意味がよくとれないほどでしたが、そのうち慣れて、だんだん、おもしろさもわかるようになってきました。
この『十五少年』は、国会図書館のホームページでインターネット上でも公開されていますし、『明治文學全集 95』にも入っています。
岩波文庫にも入っています。岩波には珍しく、現代仮名づかいへの改竄はしていないようです。
現代の訳本と比べてみると、また、ちがったおもしろさがあるかもしれません。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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