北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その7 北海道の国鉄キハ80系の思ひ出
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。
今回も国鉄型気動車の話題です。
1970年代後半から1980年代初頭にかけてのキハ80系の思い出など・・・
ちょうど、新鋭キハ183系が登場したころです。
2.北海道のキハ80系
北海道にキハ80系が走り出したのは、1961年10月改正で新設された「おおぞら」(函館~旭川間)からです。
キハ80系は当時最新の特急型気動車で、すべて新車でそろえられていました。
その後は、電化により余剰となった本州からの転属組も加わり、北海道の特急網を築いていきました。
本州からの転属組には、国鉄初の気動車特急「はつかり」で使われた、キハ80の初期車、キハ80-1・2・5があり、函館運転所に配置されていました。
さらに、「はつかり」用キロ80の改造車、キハ82-900番台(901←キロ80-1・902←キロ80-5)も、札幌運転区に配置されていました。
こちらはキハ80初期車とはちがい、狭窓の先頭車という、一目でわかる異端車として知られています。
3.1970年代後半のキハ80系
札幌で系統分割が進んでいなかったころ、函館~釧路間の1D「おおぞら1号」・2D「おおぞら6号」は、堂々13輛という長大編成で、札幌回転車3輛の解結作業があります。
とりわけ厳寒期の解結作業は、連結器やジャンパー栓、幌にこびりついた雪や氷のせいで、その作業はたいへんです。
停車時間はわずか6分(道内時刻表1979年8月号)。
おまけに、まだ停車駅も少なかった(苫小牧~札幌間約1時間無停車)ので、車体とドアの隙間やドアレールに入りこんだ雪が凍結し、しばしばドアが開かなくなりました。
そのたびに職員が、熱湯の入ったヤカンをもって駆けまわっていました。それでも開かないときは、ドアの下部を何度もけとばし、強引に開けていましたから、車輌もたまったものではないでしょう。
こうした北海道の苛酷な気象条件もあり、1970年代後半にもなると、キハ80系にも疲れがみえてきました。
初登場から四半世紀が過ぎ、置き換えが計画されるようになります。
今回も、おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回はキハ183系登場時のことなど・・・
ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。
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