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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その8 国鉄キハ183系登場その1


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。

今回も国鉄型気動車の話題です。
初の北海道特有の特急型気動車として登場したキハ183系登場時のことなど・・・

2.試作車のうわさ

北海道のキハ80系も1970年代後半には、置き換えが検討されるようになりました。
元運転士のかたの話では、キハ82形の運転室は広くてよいが、冬は貫通扉の隙間風がひどくて、寒かったそうです。
こうした乗務員の要望などから、新しい特急型気動車は、北海道の苛酷な自然条件を充分考慮して、高運転台・非貫通型になるという話が聞こえてきました。
特急型電車481系300番台の前頭部を、キハ181系にくっつけるのではと、かってに想像(妄想?)していました。
それでも、試作車の図面をみたときは、やはり驚きました。

キハ183系の公式パンフレット(表紙)

3.試作車登場

キハ183-904 1979年11月撮影

1979(昭和54)年11月、国鉄苗穂機関区で3輛編成の試作車をみたときは、図面で想像していた以上のインパクトがありました。
なんといっても、当時流行していたという、クルマのスラントノーズを採用したという、キハ183形の印象は強烈でした。
正面をみると、すべて四角いデザインで、丸はヘッドライトのレンズくらいしかありません。それすら外側は四角形で囲われています。
正面下半部は赤1色、それまでの国鉄特急型にない塗り分けでした。
どちらかというと女性的ともいわれた優美さをもっていたキハ82形と比べ、これなら雪に突っこんでも、突破できるのではと、たくましさを感じるものでした。

キハ183-904ほか試作車3輛編成 1979年11月撮影

最大で10輛編成となるため、中間電源車キハ184形が製造され、食堂車の代わりの車販準備室のある、キロ182形は乗降扉が中ほどに寄っていました。
こうした側面の窓扉配置はアクセントがあり(悪くいえばテキトー?)、これまた個性的でした。
それまでのDMH17系の柔らかい音とはちがう、とんがったような新系列エンジンの音も、キハ40形で聞いてはいたものの、やはり新鮮に感じました。

キハ183系の公式パンフレットより
左の普通車の説明には「簡易リクライニングシート」とあるが、実際はロック機構つき

普通車の車内は、はじめて乗った乗客がグリーン車とまちがえたといわれたほどだった、北海道特有の特急型電車781系と同系です。
夏には、暑いホームから乗車すると、すぐ涼しさが感じられ、キハ80系のデッキが蒸し暑かったのが解消されました。
うがったみかたをすれば、乗客がデッキに長時間いるのを想定しているともいわれましたが。
客室の間の扉は自動ドア。座席はリクライニングシート、それも、不評判だった14系客車などのロック機構のないものではありません。
窓にはカーテンが採用されました。キハ80系ロールカーテンは1窓(2列分)で1枚なので、まぶしいのを我慢して外を眺めていても、後ろか前の人に閉められてしまうことがあります。それが見事に解決されました。
シートピッチが広いので、車内販売のワゴンを通すため、通路に立っている人が、座っている人の前に入りこめるほどでした。

183系「おおぞら」運転記念券

翌1980年から、試作車編成10輛は函館~釧路間の「おおぞら」で運用を始めました。1981年には量産車も登場、乗客の評判も上々で、つぎつぎとキハ80系を置きかえていきます。

今回も、おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。

次回は、実際乗ってみたときに体験談などを・・・

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

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