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北海道の廃線跡探訪 第24回 留萌本線留萌~増毛間(2/2)


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第24回 留萌本線留萌~増毛ましけ間(増毛線)その2 阿分~増毛間です。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.阿分あふん信砂のぶしゃ

1/5万地形図留萌 平成5年修正に加筆
※地形図上の丸囲み数字は、写真キャプション冒頭の数字に対応しています

阿分の先のタントシナイ川にはコンクリートアーチの小橋があり、小さなコンクリ橋も残っている。

①コンクリート橋 2023年5月撮影

増毛線唯一のトンネル、阿分トンネルは、金網で塞がれたポータルが、国道のすぐ横に見える。

②阿分トンネルを阿分方から望む 2023年5月撮影
②阿分トンネル 阿分方ポータル 2023年5月撮影

増毛線は、ここから海岸を離れ少し内陸へ向かう。
阿分トンネルの信砂方ポータルも同じ形だったが、手前には小さなIビーム橋もあった。

③阿分トンネル 信砂方ポータル 2023年5月撮影

信砂の手前の線路沿いには、大きな石碑が建っている。

「遭難之碑」と刻まれた石碑は道路側を向き、裏面には犠牲者の名と建立年月(昭和21年11月)と建立者(札幌鉄道局旭川管理部)だけで、遭難の経緯はなにも書かれていない。

④「遭難之碑」 2023年5月撮影
④同 裏側 2023年5月撮影

文献などによると、事故は1946(昭和21)年3月、満員の列車が信砂川橋梁を進行中、最後尾の客車が脱線し河中に転落、18人が亡くなる惨事だった。事故からさほど時間が経たずに慰霊碑が建立されたことからも、関係者の衝撃の大きさが伝わってくる。

この附近の線路は撤去されているが、信砂川橋梁の手前で復活する。

④慰霊碑附近から信砂方を望む 2023年5月撮影

信砂川橋梁は1992年11月竣功と銘板にあるPC桁3連だが、阿分方の橋脚はあきらかに沈降し、線路も波打っているのがはっきりわかる。
営業末期の写真でも少しそうなっているようにも見える。

⑤信砂川橋梁 2023年5月撮影
⑤信砂川橋梁 線路が波打っているように見える 2023年5月撮影

信砂も仮乗降場からの昇格組で、信砂川橋梁架け替えと同時期に、道道94号の反対側に移転している。
跡地には開設時、移転後ともなにも残っていない

⑥信砂駅跡(移転前)を望む 2023年9月撮影
⑦信砂駅跡(移転後)を望む 2023年5月撮影

3.信砂~増毛

信砂を過ぎると再び海岸と国道へ近づいていく。
舎熊は広い空き地になっており痕跡はない

⑧舎熊駅跡 朱文別方を望む 2023年5月撮影

朱文別しゅもんべつ手前にある朱文別川には橋台があるが、朱文別駅跡にはなにもない

⑨朱文別川橋梁 2023年5月撮影
⑩朱文別駅跡 2023年5月撮影

丘と国道に挟まれ、海岸に沿って増毛へ向かう増毛線は、箸別はしべつ手前で再び少し内陸へ入る。
小さな切り通しを抜けると箸別川橋梁となるが、橋の手前にはなぜか土盛りがしてある。
ここもPC桁だったが、廃止後比較的早く撤去され、現在は両側の橋台が残るだけになっている。

⑪両側の橋台が残る箸別川橋梁 2023年5月撮影

橋を渡ると築堤上の箸別となるが、ここにもなにもない

⑫増毛方の築堤上から箸別駅跡を望む 2023年9月撮影

集落南側の築堤は歩きやすかったが、線路は撤去されていた

⑬箸別の増毛方築堤 この先で少しヤブとなる 箸別方を望む 2023年9月撮影

箸別を出ると国道の跨線橋をくぐり、その先から線路が復活する。

⑭箸別方から国道跨線橋を望む 2023年5月撮影
⑮国道跨線橋の先から復活する線路 2023年5月撮影

増毛港をまわるように、旧国道に沿い、台地のすそを増毛へ向かう途中には、短いIビーム橋やコンクリ橋があった。

⑯短いIビーム橋 2023年5月撮影

4.増毛

増毛は末期には1線突っ込みとなり、側線や貨物ホームの跡地は、駐車場や空き地になっていた。

 ⑰キハ54 501の留萌行き4930D 2010年5月撮影(冒頭写真は2011年7月撮影)

開業時に建てられた駅舎も、事務所部分が解体され、待合室部分だけになった一方、正面入口横に大きな公衆便所棟がつけ足され、開業時の面影はあまりなかった

⑰営業当時の増毛駅 左側は増築された公衆便所部分 2010年5月撮影
⑰営業当時の増毛駅舎 奥が増築部分 2010年5月撮影
⑰営業当時とあまり変わらない、復元前の旧増毛駅舎 2017年8月撮影

2018年、駅舎は観光の拠点として、増毛町の手で事務所部分を復元するなど整備され、側線跡も駐車場になっている。

⑰復元された旧増毛駅舎 左手前は公衆便所部分 2023年5月撮影
⑰同上 ホーム側 2023年5月撮影

旧駅構内には、ホームや線路も残されているが、車輛の保存はない
もっとも、駅舎整備は開業時の姿を想定しているので、気動車などがあってもかえって違和感があるだろうし、長期にわたる車輛保存にはそれなりの維持経費もかかるから、賢明な選択ともいえる。

⑰旧増毛駅ホーム 2023年9月撮影

増毛駅とその附近は、1981年公開の映画「駅 STATION」ロケ地として知られ、駅正面の富田屋旅館や丸一本間家(今の国稀酒造創業者)をはじめ、歴史的建造物も多く、シーズンには大勢の観光客で賑わっている。

⑰整備前の富田屋旅館 2010年5月撮影
⑰整備後の富田屋旅館 2022年10月撮影

増毛町の人口は、廃止時の2016年でも、最盛期(1950年代:1万5千人)の1/3以下になっていたが、2023(令和5)年4月、現在3,700人になっている。

⑰左奥は富田屋旅館 2010年5月撮影
今は復元?整備されている 2010年5月撮影
旧商家丸一本間家(国稀酒造創業者) 2010年5月撮影
ちょっとはずれるとこういう建物も・・・ 2010年5月撮影
大きな石造倉庫 2010年5月撮影

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は久びさの大物、羽幌線です。

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