北海道の廃線跡探訪 第79回 札沼線(2/2) 雨竜~石狩沼田間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第79回 札沼線新十津川~石狩沼田間その2 雨竜~石狩沼田間です。
この区間は、路盤はほとんど農地化され消えていますが、孤立したように残るコンクリート橋が散見されます。
元の和駅舎はなくなったものの、碧水駅舎は健在です。
これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.雨竜~和
雨竜の先の路盤も消失し、中雨竜仮乗降場の手前に残っていた小さなコンクリート橋は、近年撤去された。
中雨竜仮乗降場は、道路から取付道路だったと思われる小道がそれらしいと思わせるだけで、路盤もろとも痕跡はまったくない。
石狩追分の手前にも、用水路にコンクリート橋があるが、ここでも前後の路盤はまったくない。
石狩追分にも雨竜と同じく石碑があり、あたりは大きな農業倉庫が何棟も建っている。
石狩追分の北側で、路盤は国道275号とクロスして東側に移る。
面白内川のコンクリート橋は残っているが、その手前にあった築堤と橋台は、最近の耕地整理でなくなっている。
面白内川の先は再び農地に没し、渭ノ津にも痕跡はない。
渭ノ津を出ると再び国道に近づき、ここにもコンクリート橋と路盤が少し残っている。
国道から離れると、恵岱別川を渡り、北竜町に入るが、橋の跡はない。
橋から真北に直進すると、北竜町の中心市街地にある和となる。ここも農業倉庫に囲まれた一角で、駅舎が工場施設に取り込まれて使われていたが、駅舎部分は近年取り壊された。
3.和~石狩沼田
和から中ノ岱までも痕跡はなく、中ノ岱は道の駅「サンフラワー北竜」の向かい側のはずだが、踏切のため曲がっていた国道も直線化され、まったくわからない。
西側に戻った路盤は、碧水まで国道と並行した舗装道路となるが、途中の用水路の橋も架け替えられている。
営業当時の空中写真を見ると、碧水の少し手前まで路盤と並行する道路がある。しかし、碧水の手前には道路のないところもあり、碧水駅舎の位置などから、やはり路盤を転用して碧水まで延長、既存道路は農地化したと思われる。
碧水にも農業倉庫が建ち並び、その片隅に和と同じような小さなモルタル造りの駅舎が残っている。
以前(40年ほど前)は駅名標も掲げられたままだったが、今は正面入口に「へきすい」と書かれた、小さな縦型の模造駅名標がつけられている。
碧水から国道233号立体交叉跡まで、路盤が道路となっているが、その先は耕地整理で消失、町境となる美葉牛川には何もない。
沼田町に入ると、用水路にコンクリート橋があり、国道からも見えたが、これも近年撤去されてしまった。
しかし、国道のそばには小さなコンクリート橋があり、架かる角度やまわりのようすから札沼線のものと思われる。
北竜は北竜町ではなく沼田町にあり、北竜町と区別するため沼田北竜といわれる市街にあったが、ここにも何もなく、駅前通りだった小道があるだけ。
北竜から五ヶ山までは、一部路盤が農道となっているが、ほとんど農地化され、五ヶ山駅跡も判然としない。
幌似太刀別川には、石狩沼田側に築堤の一部が残るだけで、橋の痕跡はない。
留萌本線と出会う手前には、コンクリート製の小さな橋が残っている。
路盤は留萌本線と並び、石狩沼田に入っていく。
4.石狩沼田
石狩沼田は簡易委託駅となり、側線類はすべて撤去され、線路は本線1本だけとなっている。
本来の留萌本線用の島式ホームは使われておらず、今は駅名標もなくなっている。
かつて札沼線が使っていた駅舎側のホームに、2023(令和5)年4月から深川~石狩沼田間だけとなり、留萌へ行かない留萌本線の列車が発着している。
長いホームと大きな駅舎に分岐駅かつ交換駅だった面影が感じられるが、2026年3月限りで残存区間が廃止予定のため、石狩沼田駅も姿を消す運命となっている。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)を予定しています。
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