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無邪気なあなたを忘れないで。
私は今、何もしなくていい人間として活動中。
朝、一応かけている目覚ましを解除して気が向いたら布団から出る。
毎日そんな感じ。
つまり社会的には何にも縛られていない状態。
だから余計に、自分を縛っているものに対して敏感になり、
それを感じてしまうのだろう。
例えば25年の間でコリコリに凝り固まった己の思考の癖とか。
小学生から中学生、中学生から高校生。
大人になるに連れて、自分を大切にしなくなった。
部活で貰ったお土産の、ラングドシャの最後の一個。
授業もバイトも友達との予定も入れないで、
本を読んだりボーっとしたりする一人の時間。
地面に寝そべって見る星空。
全部私が大好きで本当は欲しかったもの。
最後のラングドシャは誰かに譲ったし、
友達に誘われたら都合がつく限りどこへでも飛んで行った。
今夜は流星群だからバイトが終わったら観測する予定だったとしても。
そうやって私の大好きを手放した。
大人のフリをしたくて、人の喜ぶ顔が見たくて・・・
そうやって人を喜ばせることが得意になると、
反比例的に自分自身を喜ばせる方法をすっかり忘れてしまった。
小学生くらいまでは無邪気で、自分の意思を主張することが得意だった。
余った給食ジャンケンには絶対参加していたし、
思ったことは何でも口に出して言った。
きっと今だって「無邪気な私」は心に存在するのに
私がその存在を蔑ろにしていたから
どんどん透けて見えなくなってしまっていた。
学生時代に付き合っていた人に言われたことがある。
「君とは全部が合う、そこが好き。」と。
その言葉を言われた時、ただ「そうなんだ。」と思った。
共感はできなかったけどなんとなく印象的だったからよく覚えている。
別れた後に気づいた。
全部合うんじゃなくて私が合わせることしかできなかった。
それで私を取り巻く世界はうまく回っていたので、
何も問題はないと思っていた。
気づいてからは意識的に自分の気持ちに目を向けるように努力している。
努力して目を凝らさないと見えないくらい
「無邪気な私」は透明のスケスケ。
油断すると相手を最優先する今までの楽な方法を選んでしまう。
「無邪気な私」がカラフルに色付くよう、少しずつ訓練していこう。
この思考の癖って私だけのものではなくて、
多くの人が持っているものだと思う。
相手を喜ばせられる素敵な手段だし、
おそらくビジネスにおいては大切なスキル。
でもそれに頼りすぎてしまうと、
知らず知らずのうちに自分の意思がわからなくなってしまう。
それってすごく悲しいことのように思うから、
自分を大切にしてあげようって伝えたくて書きました。
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