毒親との死別

両親の仲が良すぎて


母親と喧嘩すると父親が母親の味方をして自分が怒られ

父親と喧嘩すると母親が父親の味方をして自分が怒られた。


まるで自分の味方はいないような幼少期を過ごしたという記事を読んだ。




もうひとつ。


厳しかった母親だけど大好きだった。

甘えん坊だった自分は母と喧嘩別れをしてしまった。


心臓発作で突然の別れを迎えたが


兄に母親からの遺言があると話をされた。


「何かあった時はあの子を守ってあげてほしい」


そう兄に言い残したという。


それを聞いて今までの辛かったことが全ていい思い出に変わり

愛情を感じ


花畑にいるような愛で包まれ


生きる気力がわーっと湧いた。



という話も聞いた。






私は



親と死別した時




どう思うんだろう。



辛く

否定された幼少期を

どうでもいい恥晒しと扱われたあの時間を


私はどう消化していくのだろう。

子どもは本当に何も分からず自然なまま生まれてくる。


確かに伸びっぱなしに大きくなり立派になる人もいる。


でも親の支えがあり、人間として生きていくためのきちんとした忠告があり

大きくなった人はやはり

私から見ると全然違う話し方をするし

聞き方をする。



何歳になっても親からの愛情は人生をガラリと変えてしまうほどの力がある。



子どもからの愛情は親にはなかなか届かない。


でも親からの愛情はいつだって子供に届く。



それなのに。


子どもの私が言うことを恥だと言い殴り説教をすることで私は何を学んだだろう。


あの頃説教で母親が言っていたことで覚えているのは

私が恥ずかしかった。という自分本位な言葉と

大声と平手打ち。何往復もする


不意打ちの平手打ち。

のみだ。

それはきちんとした忠告でもなく


人間として生きていく上で大切なことでも何もなかった。


私にまだまだ辛い思いをさせたいのか?


と思うほど



あの2人は私に愛情を見せない。



金銭が愛情だとでも思っているのか。


こんなにしてやったのに。という。


いつだって我慢するのは子どもだったじゃないか。

何を訴えても

「私に早く死んで欲しいんでしょ」

しか言わない母親は


やはり狂っている。



私はこの人生で愛と我慢を学ぶのかな。



人間として何かが欠けている気がする自分は


誰かの為になれるのかな。



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