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音楽にまつわる話② ピアノと先生との巡り合い

ピアノが来るまで

私は幼稚園の頃から、楽器メーカーの音楽教室に通ってオルガンを
習った。その当時、オルガンは高額で、ましてやピアノはお金持ちの
お嬢さんぐらいしかもっていなかった。

オルガン教室に通っていたころ、忘れられないエピソードがある。
後ろで母とレッスンを見ていた5歳の妹が、先生の質問に手をあげ、
姉ちゃんはぼーっとしていた。妹は小さいころ、周りの人が
「こんなお子さん、見たことがない。」とびっくりするほど、
飛びぬけて利発だった。そのため、よりいっそう私の幼さや
理解のなさが浮き彫りになった。

そんなこともあり、妹も同じ教室で習うようになったが、明らかに
私のほうがひけない。そこで、母は私の覚えが悪く、月謝も高いので
父に相談したそうである。すると父は
「本人は行くのを嫌がっているのか?もしそうじゃなかった
続けたらいい。」
その言葉のおかげで、私は能力に?がついているにもかかわらず、
続けることができた。寛大な父に感謝である。

3年過ぎ、音楽教室は卒業になったが、ピアノの先生が見つからない。
音楽教室の先生の専門は、エレクトーンだったのだ。
電車に乗って習いに行くところはあったが、先生は習いたい人に試験をし、才能がない人には教えてくれないので、尋ねることもできなかった。

とうとうピアノが家にきた

教えてくれる先生のあてもなく、宙ぶらりんの状態が4年。
そして、私は中学1年生になっていた。そんなある日、妹の担任だった
幼稚園の先生が教育学部、音楽科の元教授がピアノの
レッスンをしているという情報をもってきてくれた。
母と私はすぐにその話に飛びつき連絡を取ってもらうと、
とんとん拍子に話が進んだ。
でも、ピアノがない。すぐに買わなくちゃ。
私の家は、前年に購入したばかりだったので、経済的に
かなり大変だったろう。

ピアノが家に来た時、私はうれしくてうれしくてたまらなかった。
搬入に来た楽器店の人が次のように母に話した。
「お母さん、お嬢さんに期待するのは酷ですよ。3,4歳から習っている人がいる世界ですから。ピアノで生活するのは、海岸で砂をすくい、その中から
さくら貝を見つけるようなものですから、、、、」

私のスタートは非常に遅かったが、音楽の教師になれた。
常識で考えれば無理だが、あきらめなくて、ほんとによかった。

ピアノの先生のこと

私の先生は、その当時70代後半。ひげをたくわえた温厚な先生だった。
ただ、ピアノのタッチや表現についてあまり指摘がなく、指定された速さで間違えずにひくと「よーし。合格」と言ってくれる。
非常に分かりやすいが、??が浮かんできた。2か月後にわかったのだが、
その先生はバイオリンが専門だったのだ。

そのおおらかな先生に習ったおかげで、私はピアノが嫌にならず、
皆がどれだけうまいのか、よく知らずに過ごした。
だから自信を失わず、受験の日を迎えた。知らないことは強い。

大学の二次試験の日、受験生の演奏が聞こえてくると、音大受験レベルの人もいた。階段で順番を待つとき不安がよぎったが、「できないことは、
できない。」と腹をくくってひいた。教育学部の音楽科は学科と実技の
点数の合計で合否が決まる。私は運よく滑り込んだ。

一方、妹は高校の時に受験のため新しい先生を紹介され、通い始めた。
音大出身の20代の先生は妹に「音楽性がない。」と言い、悩み続けた
彼女は、自信をなくしてピアノをやめ、他学部にすすんだ。

もともと妹も私と同じ学科を目指していた。明らかに私より能力が高い
妹が志望を変えた。人生には、つくづく不思議なことがあると思う。

最近、『知らないことは、悪いことでない。」と強く思うように
なってきた。頭でっかちになると、いろんな心配も浮かんできて
手も足も出なくなってしまう。
これからは『まだ知らない。』ということを恐れずに、
まず行動しよう。失敗しながら軌道修正をするぐらいの気持ちで
いないといつまでも妄想のままで終わってしまう。
『いつになったらスタートできるのか?』 
自分にゴーサインを出すのは難しい。
だから見切り発車することにしよう!


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