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ゆかりさんとバトラー #2 ジェームスの事情

自信をなくしていた ジェームス

ゆかりさんの元を訪れたジェームスは、20年前までバトラー協会の
看板執事だった。依頼主の要望に応え、その方たちの笑顔を最上の
喜びとし、誇りを持って仕事をしていた。その洗練された身のこなしや
かっこよさも人気ではあったが……

彼が結婚したのは、そんな絶頂期。30代初めだと言うのに収入も多く、
将来が約束されたような暮らしだった。

そんな折、24時間3交代で行う仕事が入った。ご両親が海外に出かける
ことが多く、一人になることが多い高校3年生のお嬢様のお世話。

たぶん、お一人で不安だったのだと思う。また幼少期から欲しいものは、
何でも買ってもらえる環境にいた方だろう。夜更けになって突然
「○○店のスイーツが今すぐ食べたい」とおっしゃる。こちらにとっての
無理難題を言われるのだ。

困り果て翌日担当のバトラーに連絡しようとすると「明日はいらない。
今、食べたい」と繰り返される。本当に困り果てた。子どもがいる現在
だったら、彼女の要望は別のところにあることがわかる。いわゆるお試し
行動だ。
「どんなにわがままを言っても、自分の味方になってくれる人が欲しい」
お金で買えないものが、ほしい。ただそれだけ…。

その当時は私も経験が少なく、別の選択肢を言えなかった。今だったら
「できるのは、ジェームズ・スペシャルのスイーツです。コンビニで
手に入る材料で作っていいですか」と尋ねてみるかもしれない。

そのお嬢様にきつく言われたことや、自分のプライドの高さから弱音が吐けないこと等が複雑に絡み合い、ある日、朝になっても起き上がれなくなった。

今まであんなに活動的だったのにと自分を責めるばかり。専門の病院も受診して治療を受けたが、半年後、あれほど好きだったバトラーを辞めた。
ちょうど子どもが生まれる頃に僕が仕事をなくしたので、妻にはとても
苦労をかけた。

それからも気持ちの問題は、良かったり悪かったりの連続だったが、働かないと家族を養っていけない。それで選択したのは人に会わないでいい仕事。
倉庫の仕分けスタッフ データ入力作業 学習塾の採点作業 Webライターの
まねごとなどもした。
ホテルなどの接客業は元の顧客にいつ会うのかわからず、不安で選べなかった。

そのジェームスの心境が変わったのが、バトラー依頼のアプリを見つけたこと。
世の中進んだものだ。バトラー協会を通さず依頼者と直接交渉ができる。
これだったら、20年ぶりに仕事ができるかもしれない。でも困ったのは写真だ。
登録するにあたり写真が必要なのだが、まともな写真がこの20年ない。
だから、とても気が引けたが看板バトラーと呼ばれていた頃の写真を登録した。

家に引きこもるようになったから、ストレス解消にポテトチップスと
チョコレートばかり食べていた。そのためもともと精悍だと言われていた
体つきは締まりがなく、持っていたモーニングコートもやっと入る状態だ。
依頼者が見つかるまで、ポテトチップスなどの間食をやめ運動し、少しでも
体重を減らそうと思っていたが、あっという間に連絡がきた。

妻にバトラーの仕事を再開しようと考えていると言うと、とても喜んでくれた。
まるで抜け殻になったような私を見て、ずっと心を痛めていたに違いない。
でも、彼女は決して夫にプレッシャーをかける事はなかった。

「あなたがもう一度バトラーをしたいと言う日を待ってたよ。バトラーの仕事はあなたにとって天職だと思う。前の働き方よりゆっくりできるといいね」
少しずつペースを取り戻すことを妻も望んでいる。

依頼者のゆかりさんは、30代半ばのおっとりとした印象の方。前回はお嬢様の
言動に翻弄されたので、「分別のある感じのこの方ならば良いのでは」と
写真を見てすぐ思った。

ゆかり様と初めて会ったとき、彼女が僕を見てがっかりしたのがわかった。
年をとったのはしょうがない。ただ家にいて、本当にやりたいことから逃げ、
ストレス解消にお菓子を食べていたことが、見た目に現れているのだ。

ゆかり様も、写真の印象と異なっていた。ちょっと前の写真だとはわかったが
雰囲気が違う。どちらかというと暗いお顔をされていたので、僕が訪問する
ことでゆかり様の笑顔が増えてくれれば、うれしい。


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